プロレス的発想の転換のすすめ(123) 見立てとプロレス
見立てとは
今回は見立てとプロレスの話です。
見立てとは得られた情報から、クライエントを理解し、問題や方針をたてる作業のことです。
検証し、反省する
見立てをたて、検証し、反省することは多くの場面で必要になる作業です。
ではプロレスにおきかえるとどうなるでしょうか?
プロレスを楽しむために
といっても私は選手になった経験がないので、ここからは、ファンとしてプロレスを楽しむための見立てをしていきます。
プロレスというのは連綿と続く大河ドラマですから、以前に巻かれた伏線が、時を経て回収されるということもよくあります。
辻陽太の場合
たとえば、2023年6月4日の新日本プロレス・ドミニオン大会で、凱旋していきなりIWGPに挑戦した辻陽太選手は、ヤングライオン時代に内藤哲也選手と、壮行試合でシングルマッチを行っており、それが帰国後「ロス・インゴ加入」と言う形で回収されました。
もっとも、この場合ですと一旦回収されたと捉える向きもあります。
英国修行時代
内藤選手はヤングライオン時代の辻選手を評価しながらも、結構辛辣な言葉を投げかけていました。
また、辻選手が英国修業時代に、ユナイテッド・エンパイアのギデオン・グレイ選手と同じユニットにいたことも知られているため、単純にロス・インゴ6人目の男として見ているファンばかりではないと思われます。
今後の試合をみて
実際、辻選手がどうなっていくかは、今後の試合を見ていくことで検証が必要になってきます。
もし、それで自分が最初に立てた見立てが外れていたら、そこはファンとして反省して、また次の見立てに生かしていけばいい、ということになります。
数ある方法の一つ
これは別にこのルーティンでプロレスを見た方がいいということではなく、あくまでプロレスを楽しむためにある、数ある方法のひとつなんだと言うことをまずご理解してください。
そもそも、プロレスを楽しむのに「反省」は少し大げさかもしれませんが、プロレスを見続けることで「見立て」の能力は磨かれていくと思います。
常識から1ミリでも
とはいっても、お客さんがたてた見立て通りに進んでいくプロレスほど面白くないモノはないのも事実です。
アントニオ猪木さんは「常識から1ミリでもいいから一歩踏み出せ」という言葉を残しています。
大きなカタルシス
プロレスにおいて、常識だと思っているものが実はそうではなかった時、大きなカタルシスを生む事があります。
しかし、それは一歩踏み出す勇気ある検証と、それを踏まえた上での反省がなければ生じないものでもあります。
見立てを疑う
長年のファンになってくると、どうしてもすれっからしな予想をして、当たったときに「それみたことか」とガッカリしがちです。
でも、その常識から一歩踏み出すためには、まず自分の見立てを疑うところから始めた方がいいのかもしれません。
プロレスならでは
そうすることによって得られるカタルシスは、ほかのどのジャンルにもない、プロレスならではのものになることでしょう。
見立てをし、検証して、反省することはビジネスの世界でよく使われるルーティーンです。
応用がきく
でも、これはここまで書いたとおり、プロレスを見るときにも使えるんですよね。
もちろん選手がプロレスを表現するときでも、応用が利くと思います。
見立てを磨く
自分の見立てがお客さんに読まれたら、なぜ読まれたのかを検証し、反省することで、次回はもっともっと面白い試合を提供できるかもしれないのです。
プレイヤーも見立てをたてることは重要だし、ファンも見立てを立てて観戦することは決して悪いことではないと、私は思います。
ぜひ自分の見立てを磨いて、プロレスをより深く楽しんでいけたら、もっともっと今よりプロレスが好きになるかもしれませんよ。