プロレス的発想の転換のすすめ(114) 危機対処とプロレス
ピンチ=危機
今回は、危機対処とプロレスのお話です。
人生はまさにピンチとハプニングの連続です。ピンチというと言葉が軽いので「危機」と言い換えました。
貯金を切り崩して
私ごとですが、両親の介護に長く携わっており、それは現在進行形でもあります。
その間、長年貯金を切り崩して生活してきました。
壮絶な介護
壮絶な介護は我が身を貪り、自分自身ががんになり、いよいよ生活が立ちいかなくなり、社会福祉協議会から来月より「生活保護」を受けるよう通達されました。
しかし、生活保護になるとまず今ある財産を手放さなければなりません。車も取り上げられるため、介護が立ちいかなくなります。
同時進行で
そこで、ケアマネさんと相談して母をリハビリ名目で入院させ、その間に入居可能な老人ホームを探すことになりました。
それと同時進行で収入源も確保しないといけません。
難易度の高いミッション
仕事を探しつつ、自分の治療しながら、母の介護という三刀流は、決して健康とは言えない私にとっては、かなり難易度の高いミッションです。
このような状況下、2022年に亡くなられたアントニオ猪木さんなら、こんな時にどうしたでしょうか?
強くない自分の姿
猪木さんのお得意のフレーズである「どうってことねえよ!」と言って強がるでしょうか?
それとも弱り目に祟り目な状況でも全て曝け出して、強くない自分の姿を発信し続けるでしょうか?
言葉を実践し続けていた
一つ確かなのは、猪木さんは最後まで「馬鹿になれ。とことん馬鹿になれ」というご自身の言葉を実践し続けていたことです。
「苦しい時、どん底の時にこそ、過激に生きなければならない」
「夢を持て!でかければでかいほどいい。
とにかく、夢を持て」
苦境だからこそ
など、猪木さんの言葉には苦境だからこそ刺さるものがたくさんあります。
度々語っていますが、私のプロレスにおけるマイヒーローは、アントニオ猪木さんではなく、宿敵タイガー・ジェット・シン選手でした。
アンチ猪木派だった
むしろ私はアンチ猪木派だったのです。
しかし、そんなアンチを振り向かせるくらい闘魂の魔性は強力なものがありました。
闘いで表現
晩年の猪木さんは詩人として印象深い言葉を数々残されています。
その言霊は今振り返るに、猪木さんはリング上の闘いで表現されていたのではないか?
そんな気さえしているのです。
莫大な借金
最終的には腕折にまでいきついたシン選手との遺恨。
莫大な借金を残し、正規の大凡戦と酷評されたモハメド・アリ選手との異種格闘技戦。
引退のファイナルカウントダウンでありながら、強烈な攻撃を受け切ったベイダー戦…
バカにならないと
全ての闘いはバカにならないと出来なかったし、過激に生きて夢を持った猪木さんだからこそ、実践できたのだと思います。
くどいようですが、私は猪木信者ではありません。
大きな存在
しかし、アンチであっても猪木さんのことは切り離せないくらい、私の中ではとてつもなく大きな存在になっています。
おそらく今の私も過激に生きて、夢を持つことが必要なはずです。
ならば
決してそれは現実から目を背けることではありません。逃げたところで現実は何処までも追いかけてきます。
ならば
一足が道となり
私の進む道は馬鹿になり、過激に生きて、夢を持つしかないでしょう。
その一足が道となり、その一足が道となる。迷わずいけよ、行けばわかるさ…。