プロレス想い出回想録 我が青春の投稿常連会プレッシャー ⑧ネット時代の訪れと時代の終焉(完)
ある時期まで蜜月
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プレッシャーという巨大組織と週刊プロレスとは、ある時期まで蜜月だったのは間違いないだろう。
だが、ネットの台頭と共にプレッシャーが果たす役割は次第になくなっていった。それは、活字プロレスと呼ばれるものの終焉と時を同じくしていたようにも思う。
最初は、誌面の端に載せられていたタテオビが、まとめて半ページに掲載されるようになった。
完全に縁が切れた
加えて慢性的な書き手不足も、終焉に拍車をかけていた。最後は打ち切り通達を受けて連載は終了。一度週刊プロレス1500号記念で復活するも、2000号の時は声も掛からなかった。
こうして、週刊プロレスとプレッシャーは完全に縁が切れた形になった。
そしてSNSの台頭と共に、個別で発信が可能になった今、プレッシャーはただのプロレスサークルになり、現在に至っている。
時代の変化
プレッシャー会員が共同で書いているブログもあるが、会員各人が個々で発信し始めたこともあり、我々がタテオビを書いていた頃からは、大きく時代が変化してしまった。
情報も媒体が発信する時代から、個々人が発信する時代へと移り変わった。これはとても大きな事で、80年代~90年代ならプレッシャーに入会しなければできなかったことも、アカウントさえ作れば誰でもいともたやすくできるようになってしまったのだ。
役割の終わり
これでプレッシャーという組織の役割は完全に終わったと思っていい。かつて栄華を誇った全国区組織でも時代の変化と共に求められた役割は変化し、いつしか時代に求められなくなった。これも世の常というやつだろう。
タテオビを書いていた当時、実はパソコンすら満足にさわれなかった私が、今主にスマホで記事を書いている。言いたかないけど、これも時代の変化に合わせてアップデートを繰り返してきたたまものだと自負している。
必要としなくなった
負け惜しみを言うわけではないが、週刊プロレスがクラスマガジン化し、プレッシャーを必要としなくなったように、プレッシャーもまた媒体としての週刊プロレスを必要としなくなっていたのかもしれない。
ネットの台頭はそのタイミングを早める結果になったとも考えられる。
思い出を残したくて
そして、タテオビの代わりに与えられた活動の場だったブログも、今では特定の会員が更新するのみとなった。
そこで、特に誰かがプレッシャーの歩みをまとめているわけでもなかったし、私自身が、ステージ2のガンに冒された事もあり、思い出話を残したくて、今回プレッシャーを題材に記事を書いてみた。
各々が証言者に
ただ、その切り口に関していうと、会員の数だけ無数に存在しているし、私目線で足らない部分を、他の誰かが補填してくれるかもしれない、という期待は持っていた。
それはもともとプロレスを表現するのに、文章を使ってきた仲間達だからこそでもある。
要はプレッシャーの功績を語り継ぎたいなら、仲間たちもまた語り部になるべきだし、形にして残したいなら、各々が証言者になるべきなのだ。私はそう思っている。