プロレス想い出回想録 我が青春の投稿常連会プレッシャー ⑦九州会員との交流
九州会員との交流
我が青春の投稿常連会プレッシャー ⑥会員からの電話はこちらから
プレッシャーに入会してからしばらくは、中国地区で唯一の会員だった私は、主に都会を中心に出向いていた。
その中で一番私が関わり深かったのが、九州地区の会員たちである。以下はその九州会員たちと私の交流を、記憶をもとに綴ったものになる。
私が最初に九州会員たちと合流したのは、92年のユニバーサルプロレス博多スターレーン大会ということになっている。
初遭遇は・・・
たしかに一同と会したのはそれが初だが、それ以前に一人だけ九州会員と接触があった。レコード屋の店長さんだった彼とJWPのスターレーン大会で接触したのが、私の「プレッシャー初遭遇」になる。
彼らとの待ち合わせに活躍した会場が今はなき博多スターレーンである。九州地区はいわゆる合同観戦スタイルではなく、各人各様の席をとって、全試合終了後に落ち合ってプロレス話をするということが定番だった。
落ち合う場所
落ち合う場所は決まっていて、スターレ-ンだと、一階のエレベーター横。そこに三々五々集まるルールになっていた。多いときは10人くらいになることもあったと記憶している。
90年代当時は、いわゆる「プロレス居酒屋」みたいなものが存在しておらず、普通の飲食店に入って会食する事が多かった。我々が初期に使っていたお店はもうずいぶん前になくなってしまったが、スターレーンから少し距離のある場所にあるお店だった。
24時間ビデオマラソン
結局、スターレーンのあった博多駅前というのは、想像するに「プロレス専門」で飯が食える場所としては地価が高すぎたのではないだろうか、と思う。
こうして交流を重ねていくうちに盛り上がって、プレッシャーとは関係ないイベントをやったこともある。題して24時間ビデオマラソン。
ひたすら観まくる
発案したきっかけは、当時両親が年末旅行で留守することが決まっており、スケジュールが空いていたので、皆を誘ったのである。
ルールは24時間とにかく持ち寄ったプロレスの試合や関連ビデオをひたすら観まくるというもので、ひとり落ち、また一人落ち・・・というのが面白かった。
若き日のバカイベント
主催者である私は24時間完走したので、全員が寝落ちしたところを目撃している。今では決してできない若き日のバカイベントだった。
余談だが、このビデオマラソンは第二回を福岡で開催しており、そのときも私が最後まで起きていた。あれが年末恒例イベントになっていたら面白かったかもしれないが、まあ、無理してやるもんじゃないし、あれはあのときにしか出来なかったことだったと思っている。