プロレス想い出コラム~週刊プロレスが取り持った奇妙なご縁②
いつ朽ち果ててもいいように
私の前職はコンビニの責任者でした。辞めさせられてから10年にもなりますから、勝手ながら時効扱いにしました。今回も多分に個人情報が含まれますので、選手名等は伏せ字にいたしますし、特定できないようにぼかして書くつもりです。
また、ブログに記録しているのも、私がいつ朽ち果ててもいいように、私の体験や考えを遺しておきたいからです。それ以上の深い意味はありません。ご了承ください。
本当にお母様?
さて、某選手のお母さまとひょんなことで知り合いになったのですが、正直私は「本当に某選手のお母さまなのか?」という疑念を捨てきれずにいました。東京ならまだしも田舎町でそんな偶然があるとはどうしても思えなかったからです。
でも一応週刊プロレスを(当時購入していた私の分を含めて)2冊送ってもらうように、取次ぎにはお願いしたのです。
道義上、買わざるを得ず
今だから言いますが、私は週刊プロレス(とその増刊)だけあればいいと思っていたのですが、なぜかデラックスプロレスやその他のムック本といった別冊本まで入荷するようになったのです。
頼んでしまった道義上もあったし、断っちゃうと週プロそのものが入荷しなくなる危険性もあったため、私は別冊も購入せざるを得なくなって、結構参りました(笑)
毎週律義に
冬の時代で売り上げが下がっていた時代でしたので、ベースボールマガジン社も色々手を打っていたのでしょう。様々な別冊号がでていました。しかも一冊当たり当時でも結構な値段がしましたから、財布を圧迫していたのは事実です。まあこの時代は人生で一番プロレス観戦をしてない時期でもあったんで、いろいろやりくりして相殺していたんだと思います。
くだんのお母さまはどうしたかというと、実はちゃんと毎週律義にお店まで買いに来られました。正直息子さんである某選手が当時所属していた団体は。毎週試合があるようなところではなかったのですが、それでも毎週買いにこられていました。
プロレスファンのつて
当然、プロレス好きな私とは次第に距離が縮まっていきました。
当時はまだダイヤルアップとかでネットをみていた時代でしたので、今のようにネットに無尽蔵な情報がばらまかれてはいませんでしたが、プロレスファンの横のつながりというのは恐ろしいもので、例えば食の好みだったり、誰それと誰それが仲が良い、悪いなどといったパーソナルデータや裏話は結構当時でもかなり耳に入っていました。
決定打になったのは
そんな情報と、お母さまがお話されている某選手の実像が、奇妙なくらい一致していったことで、はじめて私はこのご婦人が本当にお母さまだという確信を得たのです。正直肉親かコアなマニアしか知らないだろうというネタでもご存知でしたし、よくよくお顔を見てみると、確かに似ているところもありました。
しかし決定打になったのは、お母さまが入院されている原因になったご病気でした。ここが個人情報になるので伏せないといけないところなんですが、要するに食習慣が原因と思われる病だったわけです。そしてその食習慣を聞いていると、まさに某選手と血がつながっていなければ考えられないくらい奇妙な一致をみたわけです。
試合が観たいと・・・
さてその某選手は当時、主に東京で試合をしていたのですが、その大会は東京ローカルでテレビ中継されていました。
まだDVDも出るか出ないかという頃でしたから、地方局ではネット中継をされない限り、当然放送はされなわけです。お母さまはしきりに「試合が見たい」とおっしゃるのですが、こればかりはどうにもなりません。しかし、そこで私は一計を案じました。(つづく)