私的プロレススーパースター烈伝(95)ジャイアント馬場
史上最大の長身と巨体
今回は東洋の巨人ことジャイアント馬場さんのお話をします。
馬場さんは、日本のプロレス界の史上最大の長身と巨体を持つ選手で、全盛期は身長209cm、体重135kgの体格を誇るレスラーでした。
日本のプロレスを代表
馬場さんは師匠・力道山選手、アントニオ猪木さんと並んで日本のプロレスそのものを代表する存在です。
コマーシャルやテレビ番組などでも人気を博したほか、現役時代、当時の世界最高峰の王座であるNWA世界ヘビー級王座に3度就いています。
巨人軍に投手として
全日本プロ・レスリング代表取締役社長・会長でもあり、NWA第一副会長を歴任しました。
馬場さんは高校を2年で中退し、プロ野球巨人軍に投手として入団します。しかし、1959年に怪我のため引退します。
日本プロレスへの入門
馬場さんはスポーツを続けたいという一心で、野球選手の継続を断念した後も、トレーニングを行っており、1960年3月、巨人時代に面識があった力道山さんに日本プロレスへの入門を直訴し、力道山選手からヒンズースクワット100回を命じられます。
しかしその場で難なくこなして、入門が決まりました。
海外でも大活躍
1960年9月30日に猪木さんとともにプロレスデビューし、1961年には海外遠征します。
海外でも大活躍し、帰国後は日本プロレスのエースとして日本プロレスを牽引します。
3711試合に出場
日本テレビ・三菱電機の後押しで全日本プロ・レスリング株式会社を旗揚げし、現役選手としてだけではなくプロモーターとしてもプロレス界の顔になっていきます。
馬場さんは1984年にデビュー以来続いた連続無欠場記録がとぎれるまで、3711試合に出場しています。
1999年1月31日
プロレス興行では入場口近くの売店の椅子に座り、グッズを購入したファンにサインを書いたり、記念撮影に応じてフレームに収まったりしていました。
そんな馬場さんは1999年1月31日午後4時04分、肝不全のため61歳で亡くなりました。
生で見たと言うだけで
さて、今年で馬場さんが亡くなって約25年もの月日が流れようとしています。
今では馬場・猪木の試合を生で見たと言うだけでビックリされるような時代になってしまいました。
それぐらい時間が経ってしまったのです。
年齢を聞いて
コロナ禍になる前の全日本プロレスでオープニングアクトを地元ローカルアイドルがつとめていたことがありました。
そこで、彼女たちの年齢を聞いてびっくりしたことを覚えています。
生で見たことがない世代
それは全員が20歳もしくは10代だったことです。
要するに彼女たちは、自分たちが今上がっているリングの創始者であるジャイアント馬場さんを生で見たことがない世代だったわけです。
人が成人するくらい
私にとって1999年というのはつい最近のような気がするのですが、気がついたら人が成人するくらいの時間は経ってしまってるわけですね。
ですから幸運にも馬場さんを生で見ることができた自分達の世代は、見たことのない世代に対して、一つでも土産話を語り継いでいく義務があるのじゃないかと考えました。
衰えたとはいえ
私がプロレスを生観戦しだした頃、すでに馬場さんも第一線から退いており、試合に出てきても中盤もしくは「明るく楽しい」プロレスを担当している時代でした。
ところが衰えたとはいえやはり高く上がる足は、さすが元投手でしたし、十六文キックが出ると会場も大いに沸いたのを覚えています。
セコンドの介助
一方でリングを降りるとセコンドの介助なしでは歩けないぐらい辛そうにしていたのを覚えています。
馬場さんと私で唯一接点があったのは、天龍選手のレボリューション T シャツを馬場さんから直接購入したことです。
記憶が飛んでいる
当時係員の人も誰もおらず、売店に馬場さんしかいなかったため、直接お金を渡してレボリューション T シャツを買ったことは覚えているのですが、その時どういうやり取りをしたのか緊張してしまって全く記憶が飛んでいるのです。
馬場さんは、第1試合などに出てくる若手の試合を熱心に売店から見ていたのも印象に残っています。
不思議なもんで
私が見ていた時は菊池選手と折原選手が対戦していたのですが、それを熱心に馬場さんが見ていたことは、今でもよく覚えている光景のひとつです。
不思議なもんで私は、闘魂三銃士は橋本さんだけ、四天王は小橋さんだけ、そしてBI砲に関して言うと馬場さんだけしかサインを持ってないんです。
今思い起こすと
猪木さんも馬場さんも決してサインは断らない人だったと記憶していますが、縁あって私のもとにサインの書かれた本が残っているというのも今思い起こすと奇跡だったのかなと思ったりします。
気が付けば、私もがんになり、年齢も馬場さんの没年齢に近づいています。
終生現役を貫いた
還暦の時、赤いちゃんちゃんこを着た馬場さんが記者団に「60っていったらおじいさんのイメージがあったけど、いざ自分がなってみたらまだまだやれるじゃないか」と抱負を語られておいたのを覚えています。
実際は裏で闘病されていたのでしょうけど、そんなことはおくびにも出さず、終生現役を貫いた馬場さんはやはり凄いレスラーだったなと思うのです。
リングを躍動する
もし馬場さんのことに興味を持っていただけたら、是非若き日のジャイアント馬場選手の試合をみてください。
巨体に似合わない素早い動きでリングを躍動する日本プロレス時代の馬場さんの勇姿をたくさん見ていただけたら嬉しく思います。