[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#76 大谷晋二郎

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ヤジを飛ばした客を叱る観客

今回はホットジャパンの縁から、ガンバレ☆プロレスにレギュラー参戦する事が発表された大谷晋二郎選手のお話です。

大谷選手の故郷、山口県に新日本プロレスが来るのは年に2回しかなく、その2回を心待ちにしていたそうです。

新日本の試合で汚いヤジを飛ばしていた客を外に連れ出し、「プロレスをバカにするなら出て行ってくれ!」と怒りをあらわにしたことがあるらしく、それ以来心無いヤジを飛ばした客を叱る観客として新日の営業から認知されたそうです。

追っかけ時代

追っかけ時代のエピソードとしては、ホテルのフロントに侵入して警備員につまみ出されようとする中、アントニオ猪木さんに声を掛けたところ、猪木さんに微笑み返してもらい、警備員に大谷さんを開放するように指示した猪木さんは、大谷選手が持っていた闘魂ハチマキにサインをしたそうです。

これで、大谷さんは猪木さんのいる新日本プロレスに入門することを誓ったのだそうです。

名物お父さん

山口県鴻城高等学校時代にレスリングで国体・インターハイともにベスト16の実績を残した大谷少年は、卒業後はアニマル浜口ジムに入門します。そして新日本入門後、1992年6月25日の福島市体育館にて山本広吉(現・天山広吉)戦でデビューを果たしました。

デビュー前、父は入門に大反対していた母と妹の3人で、九州巡業の際に応援に来てくれ、その後、名物お父さんとして山口県の会場では「大谷パパ」として有名人となりました。

受け取った手紙

山口県にAAAが新日本と組んで開催した「AAAルチャツアー」の山口大会では、大谷選手のお父さんがプロモートをつとめていた縁で、私は大谷選手のお父さんからチケットを買ったことがあります。

返信されてきた封筒にはチケットと「もう少しいい席を用意出来ればよかったのですが」と書かれた、大谷パパの手紙が入って居ました。

ちなみに席は2階席最前列のど真ん中でこれ以上ない特等席だったので、会場にいって非常に恐縮したのを覚えています。

あとにも先にも私がプロモーターから手紙を受け取ったのは、これが最初で最後になりました。

橋本真也選手の付き人

ちなみにこの大会では大谷選手はワイルド・ペガサス選手と組んで、コナン・シコシス組と対戦し、ドラゴンスープレックスで大谷選手が勝利しています。

また、大谷選手のお兄さんは地元ローカル局でカメラマンをやっており、ワールドプロレスリング中継局でないにも関わらず、ノーテレビの山口大会での大谷選手の試合が地上波で放送されたこともあります。

大谷選手の若手時代は橋本真也選手の付き人を2年間務めています。

臆することなく向かっていく

当時、アントニオ猪木さんは新弟子にとって天皇のような存在なので、若手時代は自分から口を聞くことも許されなかったと大谷選手は回想しておられます。

大谷選手は、デビュー間もない頃から伸びのあるドロップキックとキレのあるジャーマン・スープレックスと十八番である顔面ウォッシュ、そして何よりも先輩レスラーに臆することなく向かっていくファイトスタイルで人気を集めました。

実力では全く歯が立たない大先輩の獣神サンダー・ライガー選手にもケンカ腰で向かっていく姿勢を見せていき、ジュニアの一時代を築いていきます。

1997年には第5代のジュニア7冠を獲得し、同時にIWGPジュニア初戴冠を果たしました。

ZERO-ONEを旗揚げ

2000年に海外遠征をし、カナダ・カルガリーで肉体改造後、2001年の帰国直後にヘビー級に本格的に転向します。

同年すぐに新日本を離脱し、橋本真也選手、高岩竜一選手と共にZERO-ONEを旗揚げします。

大谷選手は「海外遠征中で自分が日本にいなかった中、橋本さんが『大谷も参戦することが決定事項になっている』と自分の知らないところで記者に触れ回った」と、これが愛着のある新日を9年で離れた理由だと明かしています。

自分の名前を勝手に使った橋本さんからは帰国後に詫びを入れてもらったそうですが、その際に一番参加してほしいレスラーこそが大谷だと告げられ、その殺し文句に大谷さんは感激し、ゼロワン入団を決めたのでした。

交流の扉を閉ざさない

橋本さんは、もし新日でやり残したことがあるならZERO-ONEの移籍は撤回してもよいと、あくまで大谷さん本人の意思を尊重したのですが、新日を解雇されて孤独だった橋本さんを案じて行動を共にすることとしたのでした。

新日を離れる際に会社と話を付けましたが、長州さんからは大谷選手が新日を離れる際に、プロレス界は狭い世界だから新日を離れたとしても交流の扉を閉ざさないようにすべきだと助言されています。

炎武連夢の結成

ZERO-ONEでは元FMWの田中将斗選手と共に「炎武連夢(エンブレム)」を結成し、2002年にはプロレス大賞の最優秀タッグ賞を受賞しています。

また、年に一度「火祭り」リーグ戦を主催しています。2005年にはZERO1-MAXの代表となりました。

ハッスルにも参加

この時期、ハッスルにも参加し、ハッスル軍に所属して、当初は大谷晋二郎としての参加でしたが、キャプテンこと小川直也さんから「ハッスルあちち」と命名されます。

初めは大谷さん自身も戸惑いを見せていましたが、その後は本人もいたくお気に入りでリング上で自ら「あちち〜」と叫びながら技をかける様子も見られました。

そして2021年には、全日本プロレスのチャンピオンカーニバル二も初参戦。同年6月にはホットジャパンの縁で、ガンバレ☆プロレスにレギュラー参戦が決定しました。

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