忘れられない試合
今回はWAR時代の石川敬士(孝志)の入場テーマ曲である、ギタリストのトニー・マカバインの「Edge of Insanity」をご紹介します。「Edge of Insanity」はトニー・マカバインが1986年に発表したアルバム「Edge of Insanity」の表題曲でもあります。
さて石川孝志といえば、私的には忘れられない試合があります。それは90年代、WAR対新日本の対抗戦華やかなりし頃に、東京ドームで組まれた対藤波辰爾戦です。この試合は現地で生観戦しました。
対剛竜馬戦
藤波さんといえば今でこそ、色んなインディ団体の選手とも試合していますが、新日本在籍当時では、そうたくさんあるわけではありませんでした。
実はWARとの対抗戦以前に、藤波さんは、剛竜馬率いるパイオニア戦志との抗争で、パイオニアの大将だった剛竜馬と博多スターレーンで一騎打ちをしています。
私はこの試合も生観戦しています。一時期国際プロレスから新日本へ入団していた剛竜馬は、藤波さんにとって、いわば過去「同じ釜の飯」を食った同士とも言えます。
終始つれない態度
しかし、剛竜馬はもともと身体が硬かった上に、パイオニア時代はろくに練習をしていなかったようで、これを快く思っていなかった藤波さんは、スターレーンのリング上であからさまに不快感を示していました。
試合はかみ合わず、かつてWWFジュニアのベルトを巡り抗争していた時代とは全然違う内容になってしまいました。意気込む剛竜馬とは裏腹に、終始つれない態度をとり続けたドラゴンは、ある意味冷酷にさえ私には映りました。
キラードラゴン再降臨
そのキラードラゴンが再び降臨したのは、93年1月4日東京ドームでの石川戦だったと私は思っています。この日のメインは6年ぶりの対決となった長州対天龍がメイン。ほかにもウルティモドラゴン対獣神サンダー・ライガーなどといった夢の顔合わせが実現した記念すべき大会でした。
長州より格下
この時代の中心はちょうど長州・藤波世代から闘魂三銃士へ移行する過渡期でした。事実上、長州・藤波は90年代前半の「新日の顔」でもあったのです。
その一方の雄である長州が天龍と闘うということは、「格的」に藤波さんにも天龍クラスの大物をあてがう必要がでてきます。でないとカードによって藤波さんは長州より格下になってしまうからです。
ですが、WARはほぼ天龍の一枚看板でやっていた団体ですから、もう一人天龍クラスの選手を用意できるはずもありません。そこへ石川敬士が突如「藤波、俺と闘え!」と挑発してきました。ここから特に流れがあるわけでもなく石川対藤波というカードが決まってしまうわけです。
練習していない?体形
冷戦時代の新日本と全日本はファンだけでなくレスラー同士も意識しあっていました。特に力士出身者の多かった馬場全日本にはあんこ型のレスラーが多く、新日本のファンはその体形をして「練習していない」と一蹴していました(事実は別として)。そして石川もまた御多分に漏れずもと力士であんこ型の選手でした。
不快感を抱いていた
余談ですが、POWER HALL 2018において飯伏幸太が連れてきた伊橋剛太の体形をみて長州がだめだしをしたのも、おそらくこの流れを汲んでいるものと想像されます。
そしておそらく内心では「俺と釣り合うのはジャンボ鶴田クラス」と思っていたであろう、当時のドラゴンが、石川の挑戦を「練習もしていない格下が偉そうに」と不快感を抱いていたとしても、私には別段不思議ではありませんでした。
かくして試合当日。もともとプロレスのうまいことでは定評があった石川は、藤波さんのドラゴンスリーパーによってあっさり退けられます。剛対藤波ほどぎくしゃくしていないものの、石川の繰り出す技を冷淡にさばいていた藤波さんのキラーぶりは、私の脳裏に深く刻み込まれました。終わってみればこの大会で、今でもはっきり内容を覚えているのが、石川藤波になったというのも、面白いものです。
格下の対戦相手が意気込むと
この石川孝志一世一代の大勝負は、つれないドラゴンのキラーぶりが浮かび上がった試合として、マニア的にはたまらない試合ではありました。
剛にしても、石川にしても、なぜか格下の対戦相手が意気込むと「目覚める」ドラゴンのキラーっぷりを二度も生で見たというのは、運がよかったというべきかもしれないですね。
のちに技が決まった体勢で一番ポーズを決める石川のサソリ固めが「スモーピオン」と呼ばれ、石川の一番ポーズは「フィーバー」という名で、インディマニアには大いに親しまれました。
石川の爪痕
石川自身が旗揚げした新東京プロレスでは当時交流があったUWFインターから高田延彦を引っ張り出し、アブドーラ・ザ・ブッチャーともシングルで対戦させたりもしています。間違いなくプロレス界には石川の爪痕が確かに残っているのです。
私は「Edge of Insanity」を聴くたびに長い花道を勇んで入場してくる石川孝志の姿を今でも思い起こせます。
当時たまたま花道サイドに座っていたこともあったのですが、石川があの東京ドームの花道を歩いた姿を生で見た人間のひとりとして、いつまでもまぶたの奥に焼き付けておきたい。そんな気持ちにもなったりするのです。