小橋建太の剛腕ナイトINがむしゃら)
(2012年1月23日・月・プロレス居酒屋がむしゃら)
疲れが酷く
ムチャしすぎたせいと昨今の急な冷え込みで体が参ってしまっていて、いくら寝ても疲れが取れない状態になってしまった。
鬱のサイクルだと冬場は過睡眠になる傾向にあるのはわかっていたけど、それにしてもここまでひどくなるとは。
コンディションを整え
いや・・・・それでもなんとか予定までにコンディションを整えるのがプロレスファン。
ましてや同世代とはいえもはやレジェンドに近い(考えてみればそれだけ年とったんだよなあ)小橋とさしで話ができるチャンスなんてそうそうあったもんじゃない。
満席状態
まあ、マスターの尽力のおかげでこういう機会が与えられたことには感謝しかない。この会実現までの険しい道のりを知ってる分、それは強く思った。
この日実はがむしゃらは定休日。
しかし予約・・・というかチケットかった人ですでに満席状態。
テーブル席へ
ちょうど19時くらいに小倉についてMさんと合流してがむしゃらに向かった。
本当はカウンター席でということだったが急遽テーブルに回された。
小橋選手登場
まあ、こういう会合ではなるべく一見さん優先にしてくださるし、マスターとこのあいだのがむしゃらの大会の感想をいったりしてる内にNOAHの宣伝カーが登場し、中から小橋建太選手と谷口周一選手と営業で協力してる、九州プロレスの古賀野アナが登場。
場内大拍手。
オーラは半端ない
間近で見た小橋選手はやややつれたような感じがしたがそれでもレスラーオーラは半端ない。
この回は小橋選手が食事終わったら各お客がマスターに呼ばれた順で小橋選手の席へ行って、話をするというもの。
緊張しっぱなし
で一番最初が我々だったのだ。いや、さすがに緊張しっぱなし。でもここはさすがMさんだけあって率先して色々質問して下さったので助かった。
小橋さんの声はややもするとすごく聞き取りづらいんだが、雰囲気でいうとしいて言えば藤波さんに近い感じがした。
ギリギリまで
興味深かったのはやはり昨年8.27のこと。
試合自体は直前まで知らされてなかったそうで、それは実をいうと膝だけでなく太ももの痛めていたためギリギリまで試合をできる状態かどうかわからなかったそうだ。
ムーンサルトの競演
しかし出ると決まったからにはコンディションも整え、なんとか出てきたそうで、ちなみにパートナーの武藤とは当日あったばっかり、対戦相手の飯塚と矢野はどんな選手
かもしらなかったそうだ。
そこで話はあのムーンサルトの競演に繋がっていく。
武藤が勧めたからでは
ALLTOGHETHERの趣旨が被災者に元気をということで自ら飛ぶ気でいたという。
つまり武藤が勧めたからとんだわけではなかったのだ。
事実、小橋がコーナーにいったら武藤自身が驚いていたそうでこれには「そりゃ先輩ですし、いかないわけにはいかないでしょう」と笑った。
不安はあった
しかし実は飛ぶこと自体よりコーナーに上れるかどうかが不安だったという、実際練習して首を詰まらせたということもあって不安はあったそうだ。
でも結果は大成功。ただし試合後の武藤とのGHC挑戦の話には「(タイトルマッチを)NOAHでやるのはいいけど全日本でやるっていうのは違うよとちょっと・・・そうはいかないよと」思っていたそうで。
他団体との緊張感
ここだけ馬場イズムがしっかり根付いていたんだなあというなんか嬉しさが聞いててあった。
こういう端々に他団体との緊張感もってる世代って小橋さんくらいが最後なんだろうなあ。。。そう思うとちょっと切なくなった。
あっという間に
あっという間にタイムアップ。後は様子を見てたけど小橋さんは一人一人に丁寧話しかけていらした。本当誠実な人柄が様子でわかる微笑ましさだった。
ただ小橋さんがあまりに全員に対してわけへだてなく話すもんだから、時間はどんどん押して行って最後のサイン&記念撮影タイムも押し気味。
(下の写真は同行されていた谷口周平選手と)
いい体験をさせてもらった
私が持って行った91年のチャンカンのパンフにもサインいれていただいたんだがやっぱ話が長くなってこちらからは「この後待ってる人もいるんですが」とはとても言えなくて嬉しいけど困ってたらまたマスターに助け舟出していただけて順番を変わる事が出来た。
で、そのあとも当然列は続くが同じように長くなり・・・お開きから30分が経過しても一向にはけないので^^(それも皆さん楽しんでらしたけど)お仕事もあるMさんとともにマスターにお別れをいって中座させていただいた。
いや、いい体験させてもらいましたよ。本当、ありがたい話です。感謝、感謝です。
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