プロレス的発想の転換のすすめ(68)プロレスに学ぶ感情の解放
2つのブランク
私にはプロレスに関して、2回ほどブランクと呼べる時期があります。
1回目は1976年6月26日に行われた世紀の一戦、アントニオ猪木対モハメド・アリがきっかけでした。
魅惑のカード
この試合はボクシング対プロレスの異種格闘技戦として行われ、当時「プロレスが勝つか?ボクシングが勝つか?」という点で大きな注目を集めていました。
単純にどちらが強いかという問いは誰しもが興味を持ちやすいですし、当時小学生だった私にとっても非常に魅力的な組み合わせでした。
これより以前には、アントニオ猪木対ストロング小林という「日本一決定戦」と呼べる闘いもありました。
脳裏に刻む衝撃
実は、小林選手が所属していた国際プロレスの中継はおろか、全日本プロレスの中継さえも当時の山口県では放送されておらず、国際時代の小林選手がどのような選手で、どういう経緯で退団し猪木・馬場両名に挑戦表明したのかは全くわかっていませんでした。
しかし、中継で見た会場の尋常ならざる熱気に「すごいものを見た」という感動があったことをよく覚えています。
終盤に放たれた猪木さんのジャーマンスープレックスで、猪木さんの頭が勢いで宙に浮くシーンは、今でもはっきり記憶に刻まれています。
難解だった試合内容
アリ戦では、あの熱狂の再来が見られるかもしれないという期待感で、私は楽しみで仕方がありませんでした。
しかし、結果は15ラウンド引き分け。事前にルールについての公式発表もなかったため、観ている側には何が何だかわからないまま終わった闘いでした。
後にさまざまな裏側が明らかになるにつれて、この試合の凄さが理解できたのですが、リアルタイム時はやはり時代を先取りしすぎていたと言わざるを得ません。
少なくとも小学生が理解できる「本物」ではなかったのです。
この一戦を機に、私は一度プロレスから距離を置きます。他に興味のあるものも出てきましたし、移り気な子供のことですから仕方のないことでした。
祖母とプロレス
では、なぜこのブランクを経てプロレスに舞い戻ったのかというと、ここにも亡き祖母が関係しています。
高校3年生のある時、部屋から出てきた私に祖母が「こっちへ来てテレビでも見んかね?」と声をかけてくれました。
受験勉強で根を詰めている孫の気晴らしにでもなればと思ったのでしょう。
言われるままに祖母の部屋に行くと、そこに映っていたのはプロレスでした。
ちょうど当時は初代タイガーマスクブームが起きており、少年サンデー誌の『プロレススーパースター列伝』を愛読していた私の中に、再びプロレス熱が蘇りつつあるタイミングでした。
魂を揺さぶる怒り
その絶好のタイミングで誘われたため、見てみたいという気になったのです。
そして画面の中には、感情を露わにして、自分の怒りを叩きつけている選手の姿がありました。
それこそが、新日本プロレスに対し反旗を翻したばかりの長州力選手でした。
対戦相手は、後に永遠のライバルとなる藤波辰巳(現・辰爾)選手。
確か広島での闘いでした。結果は両者フェンスアウト。
あまりに冷静さを欠いた二人は収まりがつかず、試合後も乱闘からマイクの応酬へと続くエキサイティングな展開でした。これで私は一気にプロレスの世界に引き戻されたのです。
反体制への共鳴
一番最初に見た試合の記憶に登場する藤波選手が、再びプロレスに触れたきっかけの試合にもいたことには、何か運命的なものを感じずにはいられません。
私はそもそも集団というものが好きではなく、体制か反体制かと問われれば完全に反体制につく人間です。
なぜなら、多数派によるいじめに遭った経験もありましたし、幼い時から「ゆくゆくは家を継ぎ、家庭を持たなければならない」と言われ続けてきた背景があったからです。
剥き出しの本物
自分のやりたくないことを押し付けてくる他人に「NO」と言えない当時の自分を、とても弱い存在として忌み嫌ってもいました。
ですから、一人でも平気でいられる強い人間になりたかったのです。
「喜怒哀楽を表に出さず、常に冷静で、決して動じないことこそが強さだ」と思い込んでいました。
そんな私には、長州選手はとても眩しく見えました。
自分の感情を隠すことなく、怒りたい時に怒り、その怒りを対戦相手にぶつけていく。その感情の昂ぶりにこそ、確かな「本物」を感じていたのです。
感情の代行者
プロレスはある意味、感情を表に出しにくい人間にとって、感情表現の代行を果たしてくれることがあります。
それは実社会を生きる上で、とても大切な要素でもあります。
現実で思うままに感情を露わにすれば、トラブルになりかねません。
私が遭遇した体験をお話ししましょう。あるイベントの帰りの船着場で、私たちは列を作って並んでいました。初夏の陽気で日陰もないためかなり暑かったのですが、順番はなかなか来ません。
静寂を破る怒声
ふと先頭方向を見ると、係員に男性がクレームをつけていました。何に不満があるのかはわかりませんでしたが、男性はひたすら怒鳴りまくり、係員はひたすら宥めていました。
周りは関わり合いになるまいと二人を避けていたため、日差しが照りつける船着場には男性の怒声だけが響き渡り、私たちは船が来るまでずっとその声を聞かされ続けることになったのです。
心を潤す観戦
このような事態を好ましくないと感じる私たちは、自分の感情に規制をかけて生きています。
先ほどの男性のように辺り構わず怒鳴り散らすのは論外ですが、感情を抑え込みすぎるのも問題です。
そこで、プロレスラーに自分が秘めている感情を代理で表出してもらい、スッキリするという楽しみ方は非常に賢いやり方だと言えます。
実際、感情を抑えすぎると、怒るべき場面で怒れなかったり、泣けなかったりと不都合が生じます。
そんな時は、プロレスを観てスカッとするのが一番ではないでしょうか。
自由な闘いの場
最初は難しい考察なんてしなくていいのです。
思うがままに感情を会場でぶちまけるのも楽しいものですよ。他のスポーツでは観戦マナーが厳しく取り沙汰されることもありますが、プロレスはその点、まだまだ自由な空気が残っています。
ただし、団体により独自の観戦ルールが定められていますので、その点は各自で確認した上で、清々しい闘いを楽しんでください。
何より、リング上の選手たちが命を懸けて感情をぶつけ合う姿は、私たちに「生きていいんだ」という全肯定のメッセージを投げかけてくれます。
私もかつて、感情を押し殺すことが強さだと信じていました。
しかしプロレスに出会い、叫び、熱狂することで、ようやく自分を取り戻せました。
皆さんも、リングの熱気に身を任せ、決して「自分の感情を隠さない」ことで、心に溜まった澱をリングに置いてきてください。
それこそが、プロレスという名の闘いが私たちに授けてくれる、最高のカタルシスなのです。
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