プロレス的発想の転換のすすめ(89) 大人に捧ぐプロレスの流儀
40年を超える情熱
今回は長続きする趣味の話です。
若い頃、全日本プロレス中継の解説をされていた故・田鶴浜弘さんが、実況で「プロレス観戦40年」と紹介されていたのを見た記憶があります。
まさか自分が40年を超えてプロレスを見続けるなんて、当時は思いもしませんでした。
ただの観客としての誇り
畏れ多いというか、よくもまあこんなに続けられたな、と我ながら呆れてしまいます。
田鶴浜さんはマスコミの重鎮でしたが、私はあくまで「ただの観客」に過ぎません。
距離感がもたらす幸運
改めて考えると、これはとても幸運なことですね。
マスコミでもなく、団体関係者でもなく、選手でもない立ち位置でプロレスと関わり続けられているのですから。
適度な深入りを避ける
プロレス界だけでなく、どの業界もそうですが、深入りすれば面倒なことがたくさんあるものです。
私のそんな意向を汲んでか、比較的「放し飼い」に近い状態でいさせていただけている点に関しては、ひたすら感謝しかありません。
減りゆく同好の士
アニメでも特撮でもそうなのですが、私の趣味はどれも40年を超えています。
オタク趣味というのは長く続けていると有利なこともありますが、だんだんと話が合う同好の士が減っていくのが悩みの種です。
10代と変わらぬ生活
本来、時間が経過すれば、仕事での昇進や転勤、結婚などで趣味に時間を割けなくなるものです。
ところが私はそれらをすべてスルーして生きてきたせいで、10代の頃と大して変わらない生活を送れています。
健康と向き合う現在
それが良かったのか悪かったのかはわかりませんが、自分としては悔いはありません。
ただ、大病をした経験から、健康には注意を払うようになったのは、若い頃と明確に違う点ですね。
観戦の質を追求する
今さら観戦数を競っても仕方がありません。
プロレスの場合、一回の観戦の質を重視するようになったので、昔のようにのべつまくなしに観ることは少なくなりました。
映画ならB級作品も好んで観ますが、プロレスにはより高い満足度を求める傾向にシフトしています。
そのため、失笑するしかない団体や選手の「闘い」には足を運ばなくなりました。
時間と対価のリアリズム
その分、評価も辛口になっていますし、そもそもつまらなければ批判すらもしなくなりました。
時間の無駄ですし、わざわざお金を払って不快な思いをしに行くほど暇ではない、ということもあります。
シンプルな観戦スタイル
逆に言えば、今観ている団体や選手は、自分の中で楽しめるラインにいるということです。
しかし、これもいつ変わるかはわかりません。
見に行かないと決めた団体や選手には、お金も時間も使わない。
今の私の観戦スタイルは、いたってシンプルです。
人間が表現するもの
それでも、時を経て何かのタイミングで再び観に行き、以前とは違う感触を得たら、観戦を再開することだってあります。
プロレスも人間が表現するものです。
加齢による衰えもあれば、技術の研鑽による飛躍もある。
かつて愛した選手が精彩を欠くこともあれば、ノーマークだった若手が突然化けることもあります。
変化自体は肯定的に
私たちの心もまた、経験を積むことで受け止め方が変わります。
かつては受け入れられなかった「闘い」のスタイルが、今の自分には深く刺さるかもしれません。
プロレスも人間心理も、固定されたものではなく常に流動的なものです。
その変化を拒絶するのではなく、成長や円熟、あるいは再生のプロセスとして、「変化自体は肯定的に」捉えていきたいと考えています。
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