プロレス的発想の転換のすすめ(51)闘いと生きる力
突然の転換点
今回はプロレスとプロレスファンの関係性についてのお話です。
2021年、私にとって大きな転換点がありました。
人間ドックで肺にリンパ腫が見つかったのです。
私は生まれてこのかた、タバコを吸ったことがなく、お酒も若いうちにやめていたので、この結果には正直びっくりしました。
予期せぬ宣告
幸い、即入院や手術とはならなかったため、早期発見で済んだのは幸いでした。
最近は不治の病ではなくなったとはいえ、「がん(リンパ腫)」というのは、なかなかハードな言葉でした。
親しい知人や著名なプロレスラーでも、がんに勝てなかった例をたくさん見聞きしてきました。
ただ、親戚や親兄弟など身内でがんを患った人間がおらず、私自身も自分がなるとは想像もしていませんでした。
悔いなき選択
しかし、仮に残り時間が区切られたとしても、そこからどうしていくか。自分の中ではある程度イメージができていました。
それは、普段から「なるべく悔いの少ない生き方をしたい」という方向性です。
その思いは病気が明らかになってから、より強固なものになりました。
ですから、しばらくお会いできていなかった方にはコンタクトをとりました。
コロナ禍真っただ中においては、直接お会いするのは難しかったのですが、SNS等でやりとりはできましたね。
前向く情熱
いずれ、状況が落ち着いた暁には会えると確信しています。
もちろん明日のことは誰にもわかりません。 しかし、先に楽しみをつくってモチベーションを高めるのも、闘病生活では必要なことかと思います。
毎日を悲観して生きるよりは、今日の「今ここ」を楽しまないと、明るい未来も訪れないでしょう。
闘いへの情熱
さすがに、むやみやたらと出かけたりはしませんが、何ヶ月かに一度くらいは外出して気分転換もしています。
ウイルスにも気をつけねばなりませんが、私は内側にも強敵を抱える身です。ずっと自粛して、過大なストレスを抱え込むわけにはいかないのです。
とはいえ、プロレスのチケット代も高騰しています。治療費もかさむため「あれもこれも」と観に行くわけにはいきません。
会場に足を運ぶとわかりますが、プロレス会場では今でも多くのルールがあります。
特にコロナ禍に置いて、声が出せない状態というのは、観る側としても正直かなりしんどかったのですが、それも続けてくるうちにだいぶ慣れました。
拍手に込める
団体により検温・消毒などの対応は違いますが、ファンの反応は概ねどこも同じだったですね。
プロレスを楽しむ代わりに、観客一人ひとりが対策に細心の注意を払い、本来なら出したい声の代わりに、手拍子や足拍子で選手を応援していきました。
揺るがぬ信頼
私もなるべく配信で視聴するようにしていますが、数ヶ月に一度は生で「闘い」を観に出かけていきます。
それは団体側の対策と、それを律儀に守り通しているお客さんとの信頼関係があるからです。
かつて『週刊プロレス』の編集長が、プロレスとファンの関係性を「共犯関係」と表現していました。
多少の後ろめたさは感じつつ、それでも窮屈なルールを守り通してでも会場に訪れるファン。 もちろん誰も犯罪など犯していません。
しかし、不寛容な世の中でリスクを負って出かけることに、後ろめたさがないわけではないでしょう。
今を生き抜く
今のところ、極めて危うい橋の上を渡りながら、皆が「イマココ」のプロレスから元気をもらって、明日への活力にしています。
「イマココでプロレスを楽しむ」ことこそが、私の今の生きるテーマなのです。
『週刊プロレス』が「共犯関係」を打ち出していた時代には、よもやプロレス観戦にこのような後ろめたさを感じる時代が来ようとは想像もしていませんでした。
それでも、プロレスとファンが築いてきた長い長い信頼関係は、よしんば観客側から感染者が出ても崩れることはないでしょう。
魂燃やす場所
私にとって、四角いジャングルの上で繰り広げられる「闘い」は、単なるエンターテインメントではありません。
それは病と向き合う自分自身の姿を投影し、立ち上がる勇気をもらう聖域です。
たとえ声が出せなくても、リング上の選手と私たちの魂は、熱い手拍子を通じて確かに繋がっています。
未来への不安に押しつぶされそうになる夜もありますが、リングを見つめるその瞬間だけは、病気のことさえ忘れさせてくれます。
だからこそ、私は宣言します。何が起きても、何度でも立ち上がるプロレスラーのように、私は「イマココでプロレスを楽しみたい!」と。
この熱狂がある限り、私の心に灯った「生きるための闘志」が消えることはありません。
にほんブログ村

