
ものがたまりやすい
プロレス観戦記は、自分でブログの核にしたいという気持ちがあったんですが、プロレス入場テーマ曲記事「プロレス的音楽徒然草」に関して言うと、そこまで能動的な理由はありませんでした。
私はプロレス以外にもアニメ見たり、絵を描いたり、音楽聴いたり・・・等様々な趣味があります。中でもプロレスという趣味は、どの切り口からいっても「ものがたまりやすい」性質があります。
集めるなら・・・
有名なところでは「プロレスマスク」が代表例ですね。
ただ、マスクって今でこそ日本人のマスクマンが増えたこともあって一般化していますが、猪木・馬場時代だと「そこまででもない」というのが正直なところでした。
そして、今ほどグッズも充実はしていなかったので、集めるならパンフと入場テーマ曲集にしようと決めたのが18歳の時でした。
ラジオも好きだった
といっても今ほど潤沢に音源が出ていた時代ではなく、せいぜい「新日本プロレススーパーファイターのテーマ」やVAPからでていた全日本系のカバーアルバムしかなかったんです。
誤算だったのは、私がラジオも好きな点でした。
山口良一さん経由
1982年4月6日に火曜2部で放送開始、同年10月に金曜1部へ移り、1985年4月5日まで続いた「山口良一のオールナイトニッポン」こそが、私をプロレス入場テーマ曲の沼にはめた要因だったのです。
パーソナリティーの山口良一さんが、熱心な猪木信者ということもあり、また番組が金曜深夜に移動すると、金曜夜8時の生放送ではおさまらなかった試合の結果を、電話口で猪木さん本人が教えてくれるという、当時のプロレスファンには大変ありがたい番組だったのです。
気がつくと・・・
もちろん他のオールナイトニッポンと比較してもプロレスに関する楽曲(新日本ばっかりですが)が多めにかかっていたのはいうまでもありません。
かくして番組が終わってからも、テーマ曲を追いかけていくという私の習性は、衰えるどころか逆に火がついてしまい、気がつくと自宅がCD・レコードであふれていきました。
優先順位は・・・
とはいっても、優先順位はあくまで「プロレス観戦」だったので、「プロレス入場テーマ曲」マニアでとどまることができましたが、もし、自分の欲望のまま探求を続けていたら、今頃どうなっていかだろう・・・???
考えただけで恐ろしくなりますね。
音楽徒然草を書く目的
「プロレス的音楽徒然草」は、いわゆる「プロレス入場テーマ曲」を研究・評論する目的では書いておりません。
プロレス入場テーマ曲を探し求める過程で「身についてしまった」知識、体験、想い出話をしたいだけです。
旅は身軽に限りますが、重すぎる荷物は下ろしていいだろう。それがタイトルの「徒然草」に現れたのかもしれません。
旅は不変!
全て後付けなんですけど(笑)
オリジナル楽曲が多くなったことで、語ることが減ったと言われるプロレス入場テーマ曲ですが、これからも私がプロレスファンである限り、プロレス入場テーマ曲を求める「旅」は、不変と断言できます。
