プロレス的発想の転換のすすめ(58) プロレスと第三者の視点
流されるままの自分
今回は第三者の視点とプロレスの話です。
私は残念ながら、流されるまま結果として今の立ち位置にいる人間です。
本来はどこかに所属したいし、安定もしたい、そういう人間です。
人に任せられない性分
孤独は好きですが、過度な孤独は好みません。
結構面倒くさいですよね。そのくせ、なんでもかんでも自分でやりたがるので、なかなか人に任せられないんです。
タイミングとしては、がんに罹患したことで自分の限界も知りました。
今後はある程度、第三者に自分を委ねてみたいとも考えています。
知る人ぞ知るブログ
ブログ「せかぷろ」は開設して2026年でまる10年。
しかしプロレスブログとしては、まだ知る人ぞ知るという存在でしかありません。
実際、日間アクセスも100から150といったところですから、ブログから収入を得るということになると「夢のまた夢」ということになります。
今まではそれでもよかったのです。自分が書きたいものを書いて、わずかに刺さる人がいれば。
変化を求める決意
このように私自身が有名税を払う気がなく、コソコソ逃げ回っていたのですから、アクセスが伸びないのも当たり前です。
しかし自身ががんになり、また大切な知人、友人を立て続けに亡くしてしまった体験を経て「今の自分から変わりたい」と強く思うようになりました。
第三者の視点と気づき
ただ、10年も続けているとブログのコンセプト自体をがらっと変えてしまうのも難しいところです。
私が学んできたカウンセリングでは、常に第三者の視点を取り入れて相談者に「気づき」を促すことをします。
それを今度は、自分自身のブログでやろうというわけです。
観客が作る闘いの熱
プロレスにも第三者の視点は欠かせません。
それは「観客の目」です。コロナ禍では無観客の「闘い」もたくさんありましたが、それも配信の向こう側にいる視聴者の目を意識しています。
たとえば、アントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの「巌流島の決闘」のような極限状態の闘いであっても、そこには必ず記録し、目撃する第三者の視点が存在し、それが物語を完結させるのです。
響き合う心とプロレス
プロレスにおける「闘い」とは、リング上の選手だけで完結するものではありません。
選手の技を受け切る強さ、そしてそれを見守る観客の熱狂があって初めて、一つの作品として昇華されます。
第三者の視点があるからこそ、孤独な闘いの中にも意味が生まれ、独りよがりではない「気づき」が観る者の心に宿るのです。
私もまた、自らの人生というリングにおいて、第三者の視点を受け入れながら、新たな「闘い」を紡いでいきたいと考えています。
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