[プロレスブログ] プロレス的発想の転換のすすめ(26)怒りを浄化する魂の闘い

プロレス的発想の転換のすすめ(26)怒りを浄化する魂の闘い

怒劇としてのプロレス

本日は「怒り」という感情の取り扱いについてお話しします。かつて稀代の才人であった上岡龍太郎さんは、プロレスのことを「怒劇(どげき)」と表現されていました。これは実に言い得て妙であり、本質を突いた言葉です。

私は、怒りの表出方法を学ぶための絶好の教材こそがプロレスであると考えています。私たちは幼少期から「人前で怒るのはみっともない」「感情を荒らげるのは未熟だ」と教わり、怒りを抑制することばかりを叩き込まれます。しかし、適切に怒りを出す方法を教わる機会はほとんどありません。

確かに、闇雲に怒りを周囲にぶちまけていては社会生活が破綻してしまいます。しかし、怒りは適切に感じ、適切に表出することがベストなのです。そのやり方を知らないために、現代社会では多くのトラブルが起きています。

心のダムを決壊させない

例えば、普段は非常に穏やかで「あの大人しそうな人がどうして?」と言われるような人物が、ある日突然、取り返しのつかない事件を起こしてしまうことがあります。これは、日々の小さな怒りを処理できず、心のダムが決壊してしまった結果と言えるでしょう。

感情を「なかったこと」にしようとする行為は、最も危険な選択です。お酒を飲んで忘れたり、遊びに出かけたりしても、それは一時的に視界から外しただけで、怒りの火種は心の中でくすぶり続けています。あたかも問題が解決したかのように錯覚しても、それは単に「忘れているだけ」であり、根本的な解決には至っていないのです。

プロレスの歴史を振り返ると、そこには常に「純度の高い怒り」が存在してきました。その怒りが、観る者の心を揺さぶり、救ってきたのです。

逆境が生んだ龍魂の怒り

天龍源一郎さんというプロレスラーを語る上で欠かせないキーワードは、現状に対する「激しい怒り」と、それを昇華させた「意地」です。大相撲の幕内力士からプロレスへと転身した天龍さんでしたが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。

全日本プロレスに入団した当初、天龍さんは大相撲出身の「エリート」として扱われながらも、どこか自分自身の居場所を見つけられずにいました。ジャイアント馬場さんという巨大な太陽の影で、お行儀よくプロレスをすることへの違和感。その鬱屈とした感情が、のちに日本マット界を揺るがす「天龍革命」の原動力となったのです。

天龍革命と魂の叫び

1987年、天龍さんは阿修羅・原さんと共に「龍原砲」を結成し、平穏だった全日本プロレスに反旗を翻しました。この時の天龍さんを突き動かしていたのは、マンネリ化した全日本プロレスに対する怒りです。

「いつまでも馬場・鶴田の時代でいいのか」 「負けても痛くないような闘いで満足していいのか」

天龍さんは、あえて身内であるはずのジャンボ鶴田さんらに対して、過激な攻撃を仕掛けました。それは、なあなあの関係で成り立つ「闘い」としてのプロレスを否定し、命のやり取りを体現する真の「闘い」へと引き戻すための、魂の叫びでした。

宿命のライバルとの衝突

1980年代後半、日本のプロレス界で最も熱く、そして切ない「闘い」として刻まれているのが、ジャンボ鶴田さんと天龍源一郎さんのライバル関係です。のちに「鶴龍対決」と呼ばれるこの激突は、単なる勝敗を超えた、正解のない「怒りのぶつけ合い」でした。

それまでタッグパートナーとして全日本プロレスの看板を背負っていた二人が、なぜ袂を分かち、殺気すら漂う闘いに身を投じたのか。そこには、天龍さんの「動の怒り」と、それを受け止める鶴田さんの「静の怒り」という、対極にある感情の衝突があったのです。

殻を破る天龍の動の怒り

天龍源一郎さんの怒りは、常に外へと向かう「動」のエネルギーでした。エリートとして嘱望されながらも、どこか馬場さんの作り上げた「予定調和の枠」から抜け出せない自分自身への苛立ち。それが天龍さんの怒りの原点です。

天龍さんは、あえてパートナーであった鶴田さんに牙を剥くことで、自身の退路を断ちました。試合中、鶴田さんの顔面に容赦ないソバットを叩き込み、倒れた相手をさらに蹴り飛ばす。その姿は、観客が日常で押し殺している「現状を破壊したい」という衝動を見事に体現していました。天龍さんの「動の怒り」は、閉塞感のある状況に風穴を開けるための、生存本能に近い叫びだったと言えるでしょう。

怪物の底に眠る静の怒り

対するジャンボ鶴田さんの怒りは、一見すると分かりにくい「静」のエネルギーでした。「怪物」と称された圧倒的な身体能力を持つ鶴田さんは、当初、天龍さんの激しい攻撃をどこか冷めた目で見つめていました。

しかし、天龍さんの執拗な攻めが、鶴田さんの内側に眠る「眠れる獅子」を呼び起こしました。鶴田さんの怒りは、天龍さんのように分かりやすく叫んだり、表情を歪めたりするものではありません。むしろ、怒りが頂点に達した時ほど、鶴田さんは無表情になり、冷徹なまでに正確なバックドロップを連発しました。「これがお前の望んだ『闘い』か。ならば、その身を持って知れ」と言わんばかりの、静かすぎるがゆえに恐ろしい怒り。それは、王者のプライドを傷つけられた者だけが持つ、圧倒的な威圧感でした。

極限まで高められた哲学

この「動」と「静」の怒りがリング上で交錯した時、プロレスは単なるスポーツを超えた「哲学」へと昇華されました。天龍さんが必死に「怒り」を燃料にして鶴田さんの牙城を崩そうとすればするほど、鶴田さんはそれを大きな器で受け流し、あるいは冷酷なまでの強さで叩き潰しました。

この構図に、当時のファンは自分たちの日常を投影しました。必死に抗う労働者(天龍さん)と、揺るぎない絶対的なシステム(鶴田さん)の対立です。しかし、この激しい闘いの中で、鶴田さんもまた、天龍さんによって「本気の怒り」を引き出されました。後年、鶴田さんは「天龍がいたから、僕は本当の意味でプロレスラーになれた」といった主旨の言葉を遺しています。怒りは、ぶつけ合う相手がいて初めて、自分自身の真の姿を映し出す鏡となるのです。

負の感情を燃やす勇気

私たちは往々にして、怒りを「悪いもの」として処理してしまいます。しかし、天龍さんのように爆発させる「動」の怒りも、鶴田さんのように内に秘めて力に変える「静」の怒りも、どちらも自分を突き動かす大切なエンジンです。

二人の闘いは、怒りを否定せず、それを「表現」へと高めることで、見る者に勇気を与えました。天龍さんの叫びに救われる人もいれば、鶴田さんの揺るぎない強さに憧れる人もいる。どちらも、怒りという感情がもたらした奇跡の産物なのです。

魂を浄化する真の闘い

プロレスにおける「闘い」とは、肉体の激突であると同時に、魂のデトックスでもあります。天龍さんと鶴田さんが見せた「怒りの対比」は、私たちが社会の中でどう感情と向き合い、どう生きていくべきかのヒントに満ちています。

自分の中の怒りを恐れず、それを誰かとの「闘い」を通じて磨き上げていくこと。そうすることでしか見えない景色が、きっとあります。かつてリング上で激しく火花を散らした二人の巨星は、今もなお、私たちが感情を爆発させることの大切さを、その熱い闘いの記憶を通じて教えてくれているのです。

巨大な権威への挑戦

天龍さんの怒りは、権威に対しても牙を剥きました。当時、絶対的な象徴であったジャイアント馬場さんに対して、天龍さんは真っ向から挑みかかりました。1989年、ついに馬場さんからピンフォール勝ちを収めたあの瞬間、日本中のファンは「怒りが歴史を動かした」ことを確信しました。

天龍さんは後年、インタビューでこう語っています。 「馬場さんに勝つことだけが目的じゃない。馬場さんの高い壁を崩さない限り、俺たちの明日はなかったんだ」 この言葉は、現代社会で上司や組織の壁にぶつかり、怒りを抱えながら生きるビジネスマンの心にも深く刺さります。怒りは破壊のエネルギーであると同時に、新しい時代を切り拓く創造のエネルギーでもあるのです。

闘魂を沈めた不屈の意地

全日本プロレスを飛び出し、新団体SWS、そしてWARを設立した天龍さんは、さらなる「闘い」の場を求めて新日本プロレスのリングにも乗り込みました。そこで待っていたのは、燃える闘魂・アントニオ猪木さんとの邂逅です。

1994年1月4日、東京ドーム。天龍さんは猪木さんとシングルマッチで対峙しました。全日本プロレス出身のレスラーとして、新日本の象徴である猪木さんを倒すことは、最大のタブーであり、悲願でもありました。

この試合で天龍さんが見せたのは、猪木さんの魔術的なプロレスに飲み込まれないための「頑固なまでの怒り」でした。最後はパワーボムで猪木さんを沈め、馬場・猪木の両巨頭からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラーという伝説を打ち立てました。それは、エリート街道から外れ、泥水をすすりながら「闘い」続けてきた男の意地が、時代の潮流を飲み込んだ瞬間でした。

枯れることなき現役の怒り

天龍源一郎さんの凄みは、還暦を過ぎてもなお、その怒りの火を絶やさなかったことにあります。若い選手たちに対しても、「俺を隠居させるつもりか」という怒りをぶつけ、チョップの一撃で彼らの甘えを叩き潰してきました。

私たちは年齢を重ねるごとに、物分かりが良くなり、怒ることを忘れてしまいがちです。しかし、天龍さんは「怒らなくなることは、情熱を失うことと同じだ」という背中を私たちに見せてくれました。滑舌が悪いと揶揄されることもありましたが、リング上での天龍さんのメッセージは、どんな雄弁な政治家の言葉よりも明確でした。それは「自分の人生を他人に預けるな、怒りを持って自分の足で立て」という強烈な叱咤激励だったのです。

現代を生きる龍魂の教え

天龍源一郎さんの生き様は、現代を生きる私たちに「正しく怒ることの尊さ」を教えてくれます。不当な扱いに黙って耐えるのではなく、それを「闘い」のエネルギーに変換し、自らの価値を証明すること。

もし、あなたが今、何かに激しい怒りを感じているのなら、それを無理に抑え込む必要はありません。その怒りは、あなたが自分自身の人生を諦めていない証拠です。天龍さんがリングで放った魂のチョップのように、そのエネルギーを明日を変える一歩へと変えてみてください。天龍源一郎という不世出のプロレスラーが遺した「龍魂」は、今もなお、闘い続けるすべての人の心の中で、熱い怒りの炎として燃え続けています。

心理学が示す浄化の作用

心理学の観点から見ると、プロレス観戦には「カタルシス効果」があると考えられます。レスラーがリング上で激しく怒り、それを肉体的なぶつかり合いへと昇華させる姿を目の当たりにすることで、観客もまた、自分の中にあるドロドロとした負の感情を一緒に放電しているのです。

もしプロレスという「闘い」による発散がなければ、その怒りの矛先は無関係な他人への攻撃や、あるいは自分自身を痛めつける自傷行為へと向かっていたかもしれません。

感情を解放する自己治療

本物の怒りは、正しく感じ切り、スッキリと表現することで初めて消滅します。プロレスラーが試合の中で表現する怒りに自分を投影し、共に叫び、共に拳を握ること。それこそが、現代人にとって最も健全なメンタルケアの一つになり得るのです。

私自身、感情を押し殺して生きていた時期をなんとか乗り越えられたのは、プロレスという「闘い」を通じて、心の中に溜まった澱(おり)を定期的にデトックスできていたからだと確信しています。感情を抑圧することは自己の喪失に繋がりますが、プロレスは失いかけた自分を取り戻すための鏡となってくれます。

最強の心のマネジメント

もしあなたが、自分の中の怒りの扱いに困っているのなら、あるいは感情が摩耗して何も感じなくなっているのなら、ぜひプロレスを観てください。そこには嘘のない、剥き出しの感情のやり取りがあります。

日常のストレスや理不尽な評価、それらに対する怒りを、レスラーたちの肉体美と激突に重ねてみてください。一番効果的に、そして安全に「本物の怒り」を感じ、浄化させたければ、プロレスという名の「闘い」を観よ! これこそが、私が提案する最強のアンガーマネジメントなのです。

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