プロレス想い出回想録 ・プロレスと街の記憶をたどる⑥下関プロレス興亡の記録
現行会場と埋もれた歴史
2025年現在、旧・下関市体育館が取り壊されたため、プロレスの主戦場となっているのは「下関市総合体育館(J:COMアリーナ下関)」と「海峡メッセ下関展示見本市会場」の2つです。
しかし、この2つ以外にも、かつて熱い闘いが繰り広げられた場所がいくつも存在します。
野上と飯塚の若き日
まずは「マリンピアくろい」です。かつてここでは、野上彰選手に対し、7分40秒・逆片エビ固めで敗れた飯塚高史(当時・孝之)選手の姿がありました。
ちなみに、この日の飯塚選手は第六試合のバトルロイヤルにも参加しており、一日二回の闘いを経験しています。 この後、新日本プロレスは1989年10月29日の「闘魂シリーズ」第14戦を同地で開催していますが、残念ながらこの闘いを私は見届けることができませんでした。
2025年現在、跡地は「マリンピア豊浦ダイナム研修所」となっており、当時の面影を残すリングの気配はありません。
駐車場に響く打撃音
二つ目は、2012年4月22日、当時パチンコ店「RITZ」の駐車場で開催されたゼロワンの闘いです。これは現地で生観戦しました。
2012年は4月23日にドラゴンゲート、24日に新日本プロレスと、下関では例がない「3日連続開催」という過密なスケジュールでしたが、その口火を切ったのがこのゼロワンでした。
なお、パチンコ店は2025年現在すでに閉店しており、跡地には24時間スーパーの「ラ・ムー」が建っています。
巌流島に蘇る決闘
三つ目は、アントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの死闘でお馴染みの「巌流島」です。 伝説となった猪木対斎藤戦、そして馳浩選手対タイガー・ジェット・シン選手の二大決戦は無観客でしたが、後年、島が整備され「巌流島フェスティバル」が開催されるようになると、その中でプロレスの闘いが組まれるようになりました。
他にも「レジェンド・ザ・プロレスリング」が巌流島十番勝負の一環として大会を開いています。
2010年代はよく生観戦していましたが、開催は一旦途切れます。しかし2024年、久しぶりに島での闘いが復活し、大きな盛り上がりを見せたそうです。
競艇場に三万人の熱狂
四つ目は、2025年にスターダムと新日本プロレスを招聘して話題となった「ボートレース下関」です。 そのルーツは34年前、1991年8月1日に行われた「第37回モーターボート記念競走前夜祭・決戦!新日本プロレス・プレ巌流島」に遡ります。
これは日本初の「競艇場でのプロレス」であり、スタンド席の下にリングを設置し、レースの合間に闘いを行うという変則スタイルでした。
夜の花火大会も重なり、スタンドは3万人の観衆で埋め尽くされました。これは今なお、下関のプロレスにおける「コースレコード」と言える動員数です。私の自宅から徒歩圏内で行けた、唯一の闘いでもありました。
豪華すぎる夢の共演
当時のイベントは試合だけでなく、木村健吾さんの歌謡ショーや、藤波辰爾選手、獣神サンダー・ライガー選手、山本広吉選手(天山広吉選手)によるプロレス教室、マサ斎藤さんと山本小鉄さんによるトークショーなど、正に祭りでした。
音声参加したアントニオ猪木さんの存在感や、ボートに乗って場内を一周する木村健吾さんに藤波さんがツッコむ光景は今も忘れられません。試合も豪華で、武藤敬司選手がライガー選手にジャーマンを決めるなど、メインのバトルロイヤルを含め瞬きできない展開が続きました。2025年の「SHIMONOSEKI IMPACT」と比較しても、当時の熱量は圧倒的だったのです。
シーモールの迷宮会場
他にも、駅前の「シーモール下関」内にある「シーモールホール」では、かつてドラゴンゲートが闘いを繰り広げたことがあります。
しかし、私はここで観戦したことはありません。もともとプロレス専用ではないため、場内の柱が視界を遮り、闘いを見守るには少々厳しい環境だったという欠点もありました。
忘れられた「聖地」を巡る旅
最後に、2025年の下関を振り返ると、かつて頻繁に利用された海峡メッセでの闘いは一度も行われませんでした。
ボートレース下関の強力なバックアップがなければ、市内のプロレス興行はゼロだったかもしれません。
スポンサー契約が終了すれば、再び静寂が訪れる懸念もあります。
地図から消え、記録から漏れたとしても、あの日あの場所で響いたマットの音や選手たちの咆哮は、私の胸の中にだけ「聖地」として残り続けるのです。
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