【プロレスコラム】 プロレス想い出回想録 ・プロレスと街の記憶をたどる⑥下関プロレス聖地巡礼

[プロレスコラム]プロレス想い出回想録

プロレス想い出回想録 ・プロレスと街の記憶をたどる⑥下関プロレス聖地巡礼

下関の闘いと街の記憶

2026年現在、旧・下関市体育館が取り壊されたため、プロレス会場として主に使用されているのは、下関市総合体育館(J:COMアリーナ下関)と海峡メッセ下関展示見本市市場の2つです。

しかし、この2つ以外にも、激しい「闘い」が繰り広げられた場所がいくつか存在します。

砂浜で産声をあげた若獅子

まず一つ目は、1986年11月2日にマリンピアくろいサンシャインビーチで行われた、新日本プロレス「アントニオ猪木プロレス25周年記念~闘魂シリーズ」第14戦です。

マリンピアくろいとは、当時まだ下関市と合併する前の豊浦郡にあったレジャー施設です。

この大会の第一試合で、一人のヤングライオンがデビューしています。野上彰選手に対し、7分40秒・逆片エビ固めで敗れた飯塚高史(当時、孝之)選手がその人です。

ちなみにこの大会では、第六試合でバトルロイヤルが組まれており、飯塚選手も参加しているため、一日二つの「闘い」を経験しています。

マリンピアくろいでは、1989年10月29日にも「闘魂シリーズ」第14戦が開催されましたが、残念ながらこの両大会は未見のまま終わってしまいました。

2025年現在はマリンピア豊浦ダイナム研修所となっており、プロレスを開催できるような場所にはなっていないようです。

駐車場に響いた重低音

二つ目は、2012年4月22日、当時パチンコ店RITZの駐車場で開催されたゼロワンの大会です。これは生観戦しています。

2012年は4月23日にドラゴンゲート、24日に新日本プロレスと、下関では例がない3日連続でプロレスの大会が開催された年であり、その口火を切ったのがゼロワンでした。

ちなみに、会場となったパチンコ店は2026年現在すでになく、跡地には24時間スーパーの「ラ・ムー(LAMU)」が建っています。

巌流島に刻まれた死闘

三つ目は、1987年10月4日に開催されたアントニオ猪木さん対マサ斎藤さんの対決でおなじみの「巌流島」です。

もともとは1987年4月、下関市での「闘い」の合間に関係者が火の山公園を訪れ、展望台から巌流島を見た藤波辰爾さんが「あそこで俺と長州がやったらおもしろい」と提案したのが発端だと言われています。

その後、テレビ朝日から特番の企画案の要求があり、巌流島のアイデアを伝えたところ採用されました。

しかし、ここで猪木さんが名乗りを挙げ、猪木さん対マサさんの対決となったのだそうです。


この「闘い」の後、1991年12月18日には馳浩選手対タイガー・ジェット・シンさんの試合も行われました。

「猪木さんとの対戦権を懸け、両者が巌流島で決着をつける」とされたこの一戦は、血みどろの死闘の末、1時間11分24秒、馳選手が裏投げからのKOで勝利。

翌1992年1月4日の東京ドームで「馳対猪木」が実現しました。

実はこの試合、当時私は全く知らず、東京ドームまで生観戦に行ってオーロラビジョンで流された映像で初めて全貌を知ったという思い出があります。

そして2人の対決は1992年以来23年ぶりとなる2025年11月11日、場所を国会に移して「再戦」が実現しました。

こちらは消化不良のまま時間切れに終わっていますが、答弁の後、猪木さんは「たまには飲みながら意見交換したい」と、笑顔で話していたそうです。

整備された聖地の今

猪木さん対斎藤さん、馳選手対シンさんの二つの「闘い」は無観客でしたが、後年になって島が整備され、「巌流島フェスティバル」というイベントが開催されるようになると、その中でプロレスの試合が組まれるようになりました。

フェスティバル以外にも、レジェンド・ザ・プロレスリングが「巌流島十番勝負」を開催しています。2010年代は生観戦していた巌流島プロレスですが、その開催は一旦途切れます。

しかし2024年には久しぶりに巌流島で大会が開催され、大いに盛り上がったそうです。

3万人が沸いた競艇場

四つ目は、2025年にスターダムと新日本プロレスを招聘し、市内で話題になった「ボートレース下関」です。

さかのぼること34年前の1991年8月1日、新日本プロレス「第37回モーターボート記念競走前夜祭・決戦!新日本プロレス・プレ巌流島」がすべての始まりでした。

この大会は日本初の「競艇場プロレス」であり、スタンド席の下にリングを設置して、レースの合間に「闘い」を繰り広げるという変則的なスタイルで行われました。

イベント終了後に夏場恒例の花火大会が行われることもあり、スタンドは3万人の観衆で埋め尽くされていました。

もちろん、この大会が下関で行われた「闘い」のコースレコードであることは言うまでもありません。私の自宅から徒歩で行けた唯一の大会でもありました。

豪華すぎる夏の日の記憶

内容は盛りだくさんで、木村健吾さんの歌謡ショーや、藤波さん、獣神サンダー・ライガー選手、山本広吉(天山広吉)選手のプロレス教室、マサ斎藤さんと山本小鉄さんのトークショーまでありました。

今でも覚えているのは、歌謡ショーを終えた木村健吾さんがボートに乗って場内を一周し、その姿に藤波さんがツッコんでいた光景です。

トークショーには音声のみでしたが、アントニオ猪木さんも参加されました。

試合は、小原道由選手が山本選手を破った第一試合、蝶野正洋選手&越中詩郎選手組が馳選手&佐々木健介選手組を下した第二試合、武藤敬司選手がライガー選手に勝利した第三試合、さらに12選手参加のバトルロイヤルが行われました。

バトルロイヤルでは豪華メンバーが次々と退場する中、最後はライガー選手が馳選手をエビ固めに捕らえて勝利。

全試合終了後の花火大会も含め、大満足の帰路となりました。

今見ても豪華すぎるカードであり、これと比較してしまうと、2025年11月の「SHIMONOSEKI IMPACT」がどうしても小粒に見えてしまいます。

街の記憶と未来の闘い

ほかにも、駅前の「シーモール下関」内にある「シーモールホール」では、かつてドラゴンゲートが大会を開催したことがあります。

ただ、柱が邪魔で見えにくいという欠点もあり、私は観戦していません。

残念ながら、2025年にあれだけ盛り上がった海峡メッセでは、2026年に入りプロレスの開催予定が聞こえてきません。

ボートレース下関のスポンサードがなければ、昨年の大会開催も危うかったでしょう。2026年以降、再び下関にスターダムや新日本プロレスが来てくれることを願うばかりです。

プロレスと街の記憶をたどる

プロレスの興行は、単なるスポーツイベントではなく、その時代の街の風景や熱気と深く結びついています。かつて潮風の中で行われた「闘い」や、今はなき建物の駐車場で鳴り響いたチョップの音。それらはすべて、下関という街が刻んできた大切な物語の一部です。

「プロレスと街の記憶をたどる」とき、私たちはその場所を通るたびに、あの日見たレスラーたちの背中や、観客の歓声を思い出します。

かつて巌流島で歴史が動いたように、あるいはボートレース下関のスタンドを3万人が埋め尽くしたように、これからもこの街のどこかで、新しい記憶が刻まれる熱い「闘い」が再び行われることを、心から待ち望んでいます。

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