プロレス的随筆徒然草(4)プロレスにおけるリアルとは?
私が再解釈
今回は「プロレスにおけるリアルとは?」というテーマで考えてみたいと思います。
私は最近ChatGPTなどでプロレスについてよく質問しています。
その中から気になった項目を今度は人間の私が再解釈しているのが、この動画になっています。
本物らしさを演出
先だって、プロレスにおけるリアルについて質問してみたところ、「プロレスにおける「リアル」とは、試合やストーリーの中で本物らしさを演出する要素を指します」という回答があがりました。
私はこの回答に不満があり、いくつか質問を変えてみましたが、基本的にプロレスをエンターテインメントの一部として解釈された答えしか出て来なかったため、自分で自答してみる事にしました。
バックボーン
プロレスにおけるリアルで真っ先に思いついたのは、レスラーのバックボーンです。
プロレスラーのバックボーンに注目が集まる理由はいくつかあります。
プロレス界でいうバックボーンは選手の経歴やトレーニングの基盤を示しています。
佐々木憂流迦選手
例えば最近は、総合格闘技(MMA)をバックボーンにしたレスラーも増えてきました。
2024年5月にプロレスリングNOAHに入団した佐々木憂流迦選手は、UFCや RIZINでも活躍したバリバリの総合格闘家です。
しかし、佐々木選手は2023年1月1日に行われたSHINSUKE NAKAMURA対グレートムタ戦に感銘を受けて、プロレスラー転向を果たしました。
TEAM NEW JAPAN
また、新日本プロレスにはアマレスラーの受け皿として、「TEAM NEW JAPAN」が存在しており、ここからプロレス転向を目指す選手も少なくありません。
最近では、2024年5月現在、NEVER6人タッグのタイトル保持者である、ボルチン・オレッグ選手を輩出しています。
真剣勝負を絶対視
日本人はとにかく真剣勝負を絶対視する傾向があり、このバックボーンは他国よりも重要視されているようです。
そこには、日本人がプロレスに求めるリアリティが絡んでいるのではないか?と私は考えています。
真剣に語られた夢物語
総合格闘技が成熟した現代では想像しづらいかもしれませんが、昭和の時代は異種格闘技論争が盛んでした。
例えばプロレスとボクシングが戦ったらどうなるか?とか、空手家と戦ったらどうなるか?とか言った夢物語がある意味真剣に語られていた幸せな時代でもありました。
全てプロレス
それを実際にやってみせたのがアントニオ猪木さんの異種格闘技路線で、その際たるものが、後に総合格闘技の原点と呼ばれるようになった猪木対アリ戦ですね。
これに対してあくまでリングの中で起きたことは全てプロレスであるというスタンスだったのが、全日本プロレス総帥のジャイアント馬場さんでした。
馬場さんのバックボーン
ちなみに、馬場さんには元巨人軍の投手というバックボーンがあります。
しかし、馬場さんはリングネーム以外でことさら投手出身という前歴をプロレスに利用してはいないように思います。
巨人軍在籍
ただし、現在もジャイアンツの中継をしている日本テレビとのつながりは、明らかに巨人軍在籍というバックボーンがモノを言っていると私は考えています。
そもそも存在自体があれだけ際立つ方でしたから、バックボーンを自分から明らかにする必要もなく、プロレスに利用する必然性もなかったのでしょう。
強さというバックボーン
対する猪木さんにも陸上選手だったバックボーンはありますが、馬場さんのようにプロまで極めたわけではありません。
共に1960年9月30日同日デビューの同期同士ですが、すでに他競技でプロとしてのキャリアがあった馬場さんに対して、猪木さんが「強さ」という新しいバックボーンを求めたのは自然な成り行きかもしれません。
バックボーンを活かしながら
このように、バックボーンは選手の個性やスタイルに影響を与え、ファンにとっても興味深い要素となります。
特に日本では、プロレスラーはバックボーンを活かしながら、自身のキャリアを築いていくことが一般的かもしれません。
どの選手が最強か?
先ほど異種格闘技論争の話をしましたが、昭和の時代は何の競技をやっている、どの選手が最強なのか?という議論も盛んでした。
日本プロレスには、後に柔道日本一というバックボーンを引っ提げた坂口征二さんがプロレス転向を果たして入団しますが、坂口さんも引退するまで、最強幻想で語られた選手の1人でしょう。
強さに対する拘り
ただ、日本のプロレス界は面白いもので、バックボーンと呼ばれる前歴や、プロレス界入りする以前のキャリアで「やり切った」と思われる選手は、あまりプロレスに対して強さを求めていない気がします。
もちろん、強さに対する拘りは人それぞれですから、一概にはいえません。
セカンドキャリア
ただ、特に強さや勝負論至上主義の世界で長く生きてきた人が、セカンドキャリアとしてプロレスを捉える中で、以前とは違うことをしてみたいと考えても不思議はないでしょう。
そういう意味で私が現在のプロレスで連想するのは、新日本プロレスのグレート-O-カーン選手ですね。
求められる強さ
いわゆる「正体」と言われる選手のバックボーンととてもよく似た前歴があるため、本人はプロレスをやりたがっている?のかもしれないのに、得てして「強さ」が求められているように思えます。
しかし、プロレスラーがいかなるキャラクターを作り上げようとも、そのバックボーンからリアルを想像して試合を楽しむのは、プロレスファンの特権でもあります。
プロレスはプロレス
個人的には、馬場さんが口にされていた「プロレスはプロレスなんだ」という意見が主流になり、異論が認められない風潮を最近感じております。
しかし、このセリフはバックボーンと呼ばれる前歴において、ハイレベルな位置にまで登り詰めた方の言葉だから重みがあるわけで、リングで試合した事のない素人がわけ知り顔で口にしていい言葉ではないと私は思っています。
プロレスで表現できるリアル
プロレスで表現できるリアルは、バックボーンだけでなく、闘う選手の感情表現や、試合運び、理にかなった技の数々…と、枚挙にいとまがありません。
確かに今のプロレスは身体能力の化け物みたいな選手が、人間業とは思えない空中戦などを披露するのが主流にはなっています。
行きすぎてしまうと
しかし、あまりに行きすぎてしまうと、どちらが技を仕掛けて、どちらがやられているのか、私も分からなくなる時があります。
具体例を出して申し訳ないのですが、私はカナディアンデストロイヤーが出るたびに、試合への集中力が途切れてしまいます。
確かにすごい事をしてるのはわかるんですが、技をかけた方とかけられた方がどうしても見分けをつけられないのです。
ややこしいのは
更にややこしいのは、本当はダメージがあるはずなのに、選手が我慢してしまい、技をかけられた後すぐに立ち上がってしまう事です。
それがカナディアンデストロイヤーみたいに、見た目でわかりにくい技だと余計に私は混乱してしまうのです。
リアルな感情を
プロレスはエンタメだからリアルが必要ないわけではなく、リアルをも表現できるからこそ、エンターテインメントを超えたジャンルたりえるのです。
プロレスの試合では時に観客にとってリアルな感情を呼び起こすことができます。
これは、観客が物語に没入し、レスラーたちの技や表現に感動することを可能にするからだともいえます。
エンタメの価値
それを支えているのが、技の説得力だったり、バックボーンだったり、強さの部分ではないかと私は思っています。
つまり、プロレスはリアルな感情や人間関係を描きながら、エンターテインメントとしての価値を高めることができうる特異なジャンルなのです。
リアルな要素があるから
リアルな要素があるからこそ、プロレスはただのエンターテインメントを超え、観客にとって忘れがたい体験となり得ます。
このように、リアルとエンターテインメントの融合は、プロレスを独特な芸術形式へと昇華させる要素と言えるでしょう。
多種多様なリアル
プロレスという言葉に含まれたリアルは決して強さだけではありません。
その多種多様なリアルを楽しんでみるのもプロレスの楽しみ方としてアリなんじゃないかと私は思っています。