プロレス的発想の転換のすすめ(100) プロレスに学ぶ主体
主体性と自主性
今回は「主体性」と「プロレス」のお話です。
主体性という言葉は、ビジネス用語としてもよく使われます。似たような言葉に「自主性」という言葉もありますが、この2つはどう違うのでしょうか?
自らの責任で行動
いろいろ調べてみると、「自主性」は他者からの指示がなくても、率先してやるべきことに着手すること、とされています。一方、「主体性」は、自らの意志や判断に基づいて、自らの責任のもとで行動しようとすることです。
結果への重い責任
2つを見比べてみると、「主体性」のほうが、より「自らの責任のもとで」というニュアンスが強いことがわかります。
つまり、「主体的」な人は、自分の判断で行動を選択するだけでなく、自らの行動がもたらす結果にも責任を負うことができる人を指すのです。
価値を決める観客
プロレスでも同じで、その大会、その試合の価値を決めるのは「自分」ではなく「お客さん」です。
価値を提供するのは確かに自分ですが、それが必要とされるかどうかは、お客さんが決めるからです。
基準をすり合わせ
そのため、選手や関係者が自主的に行動するためには、周囲が求める基準感と、自分が想定している基準感をすり合わせ続けることが必要になります。
ただし、相手の期待にばかり応えようとするあまり、自らの意志や判断がおろそかになったら、それは主体的ではありません。
独りよがりを脱す
主体的であるためには、常に「自分がやりたいこと」と「自分に求められていること」をすり合わせる必要があります。
そこで、あくまで自分がやりたいことだけを貫くのも一つの生き方ですが、それだけでは主体的とは呼べません。
成立させる難しさ
そもそも、やりたいことをやるだけでは、ビジネスやプロレスとしての「闘い」が成立するとは限らないからです。
とはいっても、最初から主体的でいられる人間なんて、そうそうはいないものです。
挫折の先の接点
あるいは、自分のやりたいことがことごとく求められないことで、へこむこともあるでしょう。
しかし、そこで落ち込む必要はありません。
すり合わせを続けていくと、必ずどこかで世の中との接点が生まれてきます。
選び取る覚悟
そこで初めて、自分が主体的に判断して行動すればいいのです。プロレスやビジネスだけでなく、人生における「すり合わせ」を行い続けていくことこそ、主体的といえるのでしょうね。
結果にも責任を負うということ
人間心理において、人は「自分で決めた」という感覚が強いほど、その結果に対する納得感や責任感が増すとされています。しかし、プロレスにおける「闘い」の現場では、その主体性が残酷な結末を招くこともあります。
かつて、新日本プロレスのリングで起きた「1.4事変(1999年)」での小川直也さんと橋本真也選手の対戦は、その象徴的な事例です。勝敗や予定調和を超えた主体的な「暴走」は、会場を熱狂と混乱の渦に叩き込みました。
小川さんは猪木さんの意志で「闘い」の定義を書き換えましたが、それは同時に、対戦相手のキャリアや団体の秩序、そしてファンの憎悪という重すぎる結果をすべて背負うことを意味していました。
究極の主体性の記録
主体的に動くとは、単に自由に振る舞うことではなく、その行動が引き起こす全ての余波を、逃げずに受け止める覚悟を持つことです。
プロレス界の歴史に刻まれた激動の事件の数々は、自らの判断で「闘い」を動かした者たちが、賞賛も批判も等しく自らの業として引き受けた、究極の主体性の記録なのです。
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