[プロレス入場テーマ曲] プロレス的音楽徒然草 Never Give Me Up(小川良成・全日本時代のテーマ)

[プロレス入場テーマ曲]プロレス的音楽徒然草

プロレス的音楽徒然草 Never Give Me Up(小川良成・全日本時代のテーマ)

 名レスラーに師事

今回は小川良成選手が全日本プロレス時代に使用していた「Never Give Me Up」のご紹介です。

小川選手は1984年に全日本プロレスに入門し、1985年9月3日に岩手県宮古市でデビューしました。

小川選手は、ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さん、天龍源一郎さんなどの名レスラーたちに師事し、ジュニアヘビー級の選手としてキャリアをスタートさせました。

 故障で頭角が・・・

しかし、なかなか体重が増えなかったことや、肘の故障に悩まされていたこともあり、頭角を現すことができなかったのです。

当時の全日本プロレスは、そもそもヘビー級主体の団体でしたので、ジュニアヘビー級の小川選手が活躍する場面がなかったというのもありました。

 ジュニア時代のテーマ曲

それでも、腐らずにコツコツとテクニックを磨いていったんですね。

「Never Give Me Up」はそんな小川選手が主にジュニアとして活躍していた時代の楽曲です。

 1986年デビュー

「Never Give Me Up」を歌っているのは小川 美由希さんという方です。

小川さんは1986年、キングレコードのスターチャイルドレーベルより北原 志真名義として「砂漠(すな)のイリュージョン」でデビューしています。

 新田一郎さん

この曲はOVA「エリア88.ACT III 燃える蜃気楼」のテーマ曲に起用されています。

作曲は、スタン・ハンセン選手のサンライズで知られた新田一郎さんで、サンライズ同様ホーンセクションが印象的な名曲です。

 再発売は・・・

しかし、アニメ「エリア88」は、第4回日本アニメ大賞オリジナルビデオソフト最優秀作品賞を受賞しているにもかかわらず、DVD化はされているものの、国内版は「ACT I」と「ACT II」を再編集で1本にまとめた劇場版のものしかありません。

したがって「燃える蜃気楼」に関するデジタル商品は、再発売されていないため、「砂漠(すな)のイリュージョン」が入った燃える蜃気楼のCDは、中古市場でも高値がついています。

 改名し、移籍

その後、北原さんは小川美由希に改名し、所属事務所とレコード会社を移籍します。

1989年、デビューから4枚目となるシングル『Never Give Me Up!』をリリースします。

 最高記録

この曲はテレビドラマ『明日はアタシの風が吹く』の主題歌に起用され、オリコンチャート最高25位、100位以上登場週数9週、売上3.4万枚と小川さんの最高記録をマークしました。

「Never Give Me Up」はのちに、全日本プロレスに所属していた小川良成の入場テーマ曲に起用されます。

 ヴォーカルカット

ただし、ボーカル部分をすべてカットした編集で使用されたため、入場バージョンと歌唱付きバージョンでは、ほぼ別物という印象があります。

ただ、小川さんが下手な歌手かというとそんなことはなく、素人が聞いてもかなり上手いと思える実力の持ち主です。

 歌詞をカットした理由

ではなぜヴォーカル部分がカットされているかというと、「Never Give Me Up」が使用されていた当時は、まだテレビの音響が今ほど良質ではありませんでした。

テレビの実況に歌詞の部分が被さると、ノイズになるため、歌詞をカットした入場テーマ曲が主にテレビ局主導でたくさん作られていました。

 爽やかさが全面に

「Never Give Me Up」はそんな時代の一曲だったのです。

「Never Give Me Up」は、デビュー曲の「砂漠のイリュージョン」とは異なり、いかにも90年代チックなテクノポップですが、いわゆる力強さより爽やかさが前面に出ている楽曲になっています。

 アレンジャーは

「Never Give Me Up」の作詞は、麻生圭子さん、作曲は、石田正人さん、編曲はHAWARD KILLY・大平勉さんの連名でクレジットされています。

HAWARD KILLYさんは、アレンジャーとしても活躍されているアーティストTAKUMIさんのペンネームで、同じく編曲を担当された大平勉さんは、声優の水樹奈々さんのライブ・バックバンド「cherry boys」や、木梨憲武さんの音楽ユニット「あじさい」のキーボーディストとして活躍されてます。

 NOAH移籍後は

結局小川良成選手の入場に使われたパートは、HAWARD KILLY・大平勉さんが手がけたパートが大半を占めていることになります。

「Never Give Me Up」は、若き日の小川選手には割と似合うテーマ曲ではありましたが、その後NOAHに移籍してから二回テーマ曲を変更しています。

 Scum Of The Earth

引退まで使用された、ロブ・ゾンビさんの「Scum Of The Earth」はNOAH時代の代表的入場テーマ曲です。

ロブ・ゾンビ(Rob Zombieさん)はアメリカのミュージシャン、映画監督で、1985年、ニューヨークでホワイト・ゾンビを結成し、音楽活動を開始しました。

 ロフ・ゾンビ

現在はソロ名義で活動中で、音楽以外にも映画の監督・脚本、ミュージックビデオの監督、テレビ番組のホスト、コミックスの制作等、マルチな活動を続けています。

ホラー映画に傾倒しており、ホワイト・ゾンビ時代から曲にそれを反映するような曲作りを行い、SEにホラー映画の音声を入れたりしていました。

 速くてハードなサウンド

「Scum of the Earth」は、ロブ・ゾンビさんの2枚目のソロアルバム「The Sinister Urge」に収録されています。このアルバムは2001年にリリースされ、ロブ・ゾンビさんのキャリアにおいてクリエイティブな作品として評価されています。

「Scum of the Earth」は、速くてハードなサウンドで、ロブ・ゾンビさんのトレードマークであるヘヴィなロックンロールを特徴としています。

 イメージを変えた

インダストリアルな要素もあり、機械的でエレクトロニックな演出が際立っており、コーラスやリフレインはキャッチーで、ライブでの盛り上がりにも貢献している作品です。

「Never Give Me Up」とは全然違うタイプの作品で、全日本時代のイメージを変えるには効果的な楽曲だったと思います。

 ホラー要素

歌詞はロブ・ゾンビさんらしいホラー、怪奇、サイコな要素を含んでおり、「Scum of the Earth」は、社会のアウトサイダーや変わり者、狂気の人々をテーマにしています。

アルバム「The Sinister Urge」は商業的に成功し、ロブ・ゾンビさんのソロキャリアをさらに確立しました。

 監督デビュー作

「Scum of the Earth」自体はシングルとしてリリースされていないものの、アルバム全体がファンから高く評価されています。

「Scum of the Earth」は、ロブ・ゾンビさんの監督デビュー映画『マーダー・ライド・ショー(原題:House Of 1000 Corpses)』へのラヴ・レターとなっています。

 印象的な楽曲の一つ

この曲は、映画のサウンドトラックとしても使用され、非常に変わった雰囲気を醸し出しているそうです。

「Scum of the Earth」は、ロブ・ゾンビさんの音楽的な多様性とクリエイティビティを示す一曲であり、彼のファンにとっては特に印象的な楽曲の一つなのは間違いないでしょう。

 NOAH時代の変遷

なお、小川選手のテーマ曲は「Never Give Me Up」からNOAH移籍後に「Scum of the Earth」になりましたが、2006年4月より数年間は「New Civilization Of Massive Destruction」という楽曲に変更していた時期があります。

しかし、数年間使用した後に再び「Scum of the Earth」に戻しています。

 入手困難

「Never Give Me Up」に関しては、数年前に中古CDで購入したのですが、現在は入手困難になっているようですね。

個人的には「Scum of the Earth」とは全くタイプの違う曲なのですが、「Never Give Me Up」は小川選手の歴史を振り返る上では、外すことの出来ない曲だと思っています。

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