私的プロレススーパースター烈伝(105)宮原健斗
福岡市生まれ
今回は、全日本プロレスのエースとして、今後も多くのファンを魅了してきた宮原健斗選手のお話です。
宮原健斗選手は1989年2月27日に福岡県福岡市で生まれました
ホーガンに憧れ
父親がプロレスファンだった影響で、小学生の頃からWWFや全日本プロレスのビデオを見ていました。
ハルク・ホーガンに憧れてプロレスラーになることを夢見ていました。
2008年デビュー
中学校と高校では柔道部に所属し、体を鍛えています。
2006年の秋に健介オフィスの新人募集に応募し、2007年に入門しました。
2008年2月11日に真田聖也戦でデビューを果たしました。
全日参戦
その後、全日本プロレスやプロレスリング・ノアのシリーズに参加し、経験を積みました。
2013年にVOODOO-MURDERSに加入し、ヒールに転向しましたが、同年9月にダイヤモンド・リングを退団し、フリーランスとして全日本プロレスに参戦しました。
全日入団
潮崎豪が率いるXceedに加入し、2014年1月に全日本プロレスに入団しました。
同年8月には鈴木鼓太郎と組んでアジアタッグ王座を獲得しました。
2015年5月には潮崎豪と組んで世界タッグ王座を獲得しました。同年12月にはジェイク・リーと共闘しNEXTREAMを結成しました。
戴冠歴
宮原健斗選手の得意技は、シャットダウン・スープレックスホールド、ジャーマン・スープレックス、ブラックアウト、スネークリミットなどです。
宮原健斗選手は、三冠ヘビー級王座6回、世界タッグ王座3回、アジアタッグ王座1回などです。
兄弟子との邂逅
また、チャンピオン・カーニバルや王道トーナメントなどの大会でも優勝を果たしています。
昨年末、健介オフィス時代の兄弟子・中嶋勝彦選手が全日本プロレスの外敵として、世界最強タッグも制覇しました。
IGF参戦
宮原選手との大みそか決戦では、勝利のリング上では猪木さんの代名詞「1、2、3、ダァー」を王道マットで敢行しました。
しかし、実は王道側にいる宮原選手は2011年に猪木さんが当時率いていたIGFに参戦しています。
師匠のように
2011年2月5日に福岡国際センターで開催されたIGFの大会では、宮原選手が まるで師匠・佐々木健介選手のようにみえたのです!
そのくらい対戦相手とはなにもかもが歴然として違っていました。
貫禄の差
もう経験値だけでも、あちこちのマットで実戦をこなしている宮原選手とを同じ若手のくくりに いれちゃだめでしょう。
もう貫禄の差は歴然としていました。
このように試合は宮原選手の圧勝だったのですが、全日本に入団する前にIGFで試合をしていたのは紛れもない事実であり、私はこの試合を生観戦しています。
中嶋選手より先にあった接点
しかも猪木さんはこの時まだお元気で、リング上にもあがって挨拶もしています。要するに中嶋選手より宮原選手の方に猪木さんとは接点があったというわけです。
実際、猪木さんの一周忌には宮原選手も法要に出席しています。
宮原選手にあるもの
つまり、闘魂スタイルを名乗る資格が宮原選手にはあって、中嶋選手にはそこが足りていないというのが、この一連の騒動の違和感のひとつなんですね。
さて、全日本プロレスは2024年1月2日、後楽園ホールで新年最初の大会「新春ジャイアントシリーズ2024」を開催しました。
選手会長に
大会前に所属選手を代表してマイクを持った宮原健斗は「本日より、この私スーパースター・宮原健斗、全日本プロレス選手会長になります」と発表しました。
大きな拍手が沸き起こる中「今まではスーパースターのみでしたが、本年は選手会長として選手と会社をつなげて、この全日本プロレスをさらに上に持っていきたいと思います」と約束しました。
これからどう動くのか?
続けて「なので本日より僕のことを『選手会長』と呼んでくれ」とアピールしていたそうです。
全日本において、これからの宮原選手がどう動くのか?注目していきたいと思います。