[プロレスブログ] プロレス的発想の転換のすすめ(25) 猪木が語る道の真実

プロレス的発想の転換のすすめ(25) 猪木が語る道の真実

闘いが生む己の道

アントニオ猪木さんという不世出のプロレスラーが、引退試合の際、そしてその後の人生において繰り返し口にした言葉があります。

それが「道」という詩です。「迷わず行けよ、行けばわかるさ」という力強いフレーズは、多くのファンの胸に刻まれ、今なお挑戦し続ける人々の背中を押し続けています。

しかし、この「道」という言葉が持つ本当の意味、そしてプロレスという過酷な「闘い」の中で猪木さんが何を見出していたのかを深く考察すると、私たちが抱いているステレオタイプな猪木像とは異なる、繊細かつ冷徹な「自己との対峙」が見えてきます。

「道」のルーツと猪木が託した想い

一般的に、この「道」の詩は一休宗純(一休禅師)の言葉として広く知られていますが、実際には宗教家であり哲学者でもあった清沢哲夫氏の詩「道」が原典であるとされています。

昭和26年に発表されたこの詩を、なぜ猪木さんは自らの魂の拠り所としたのでしょうか。

プロレスラーとしての猪木さんは、常に「世間」という巨大な壁と闘い続けてきました。

プロレスを単なる見せ物ではなく、最強の格闘技として、あるいは一つの哲学として昇華させるために、彼は誰も歩んだことのない道――異種格闘技戦や、パキスタンでの真剣勝負、さらには政界進出といった未知の領域――を切り拓いてきました。

私たちが猪木さんに対して抱くイメージは、「インスピレーション優先で、むやみやたらに一歩を踏み出し、たとえ失敗しても『どうってことねえよ』と笑い飛ばす」という豪快な姿かもしれません。

しかし、その豪快さの裏側には、血の滲むような孤独と、一歩間違えれば全てを失うという恐怖があったはずです。

「闘い」を通じて作られる唯一無二の道

プロレスにおける「闘い」は、単に相手を叩きのめすことではありません。

リングの上で自分をさらけ出し、観客の感情を揺さぶり、自らの生き様を証明するプロセスです。猪木氏にとって、リング上の闘いこそが「道」を作る作業そのものでした。

ここで、プロレスというジャンルにおける具体的な事例を挙げてみましょう。

1976年:モハメド・アリとの一戦 

当時、ボクシングの世界ヘビー級王者であったアリとの闘いは、今でこそ「総合格闘技の原点」と評価されていますが、当時は「世紀の凡戦」と叩かれました。しかし猪木氏は、四面楚歌の状況でも己の信念を曲げませんでした。これこそが、他人が作った舗装路ではなく、自分が信じた荒野に一歩を踏み出す「道」の体現でした。

1987年:マサ斎藤との「巌流島決戦」 

観客もレフェリーもいない島で、ただ二人きりで闘う。この常軌を逸した「闘い」もまた、「プロレスとは何か?」「闘いとは何か?」という問いに対する、猪木氏なりの答えの模索でした。

これらの「闘い」は、決して計算されたビジネスではありませんでした。猪木氏の直感が「そうした方が面白い、そうあるべきだ」と告げ、その声に従って一歩を踏み出した結果、後から道ができていったのです。

先入観を捨てて「猪木」の視点に立つ

私たちは往々にして、自分の色眼鏡(フィルター)を通して物事を見てしまいます。

「猪木ならこう言うだろう」「猪木ならこう動くだろう」という決めつけは、時に本質を曇らせます。

猪木さんが「道」という詩を繰り返したのは、単なる自己鼓舞ではありません。

聴き手に対しても「お前自身の道はどこにあるのか?」と問いかけていたのではないでしょうか。

理屈ではなく、本質的な「生」の躍動を、詩という形に変えて伝えようとしていたのです。

一度、自分の「決めつけ」を横に置いてみてください。

もし自分が猪木さんの立場だったら、あの逆境でどう動いたか。そう想像してみることで、自分が抱いていた「アントニオ猪木像」がいかに表面的であったかに気づくはずです。

迷わない道を作るための「気づき」

「迷わず行けよ」という言葉は、迷いが全くない状態を指すのではありません。

迷い、葛藤し、苦悩した末に、それでも自分の足で一歩を踏み出す覚悟を求めているのです。

自分自身の思い込みや、世間体という名の「他人の道」を歩もうとすると、人は必ず迷います。

しかし、自分の内なる直感に耳を傾け、相手の意図を汲み取ろうと努め、自分の偏見を一つずつ剥がしていくことで、視界が開けていきます。

プロレスのリング上で行われる「闘い」は、究極のコミュニケーションでもあります。

相手が何を仕掛けてくるのか、観客は何を求めているのか。

それらを察知し、自分の意志を貫く。この「気づき」の繰り返しこそが、後悔のない、迷わない道を作っていく唯一の方法なのです。

結論:あなたにとっての「道」とは

猪木さんが遺した「道」は、今を生きる私たちへの挑戦状です。 

「インスピレーションを信じて、むやみに踏み出す」のは無謀に見えるかもしれません。しかし、立ち止まって分析ばかりしていても、道は一ミリも伸びていきません。

日々の生活、仕事、人間関係――それら全てを一つの「闘い」と捉えたとき、あなたはどこに一歩を踏み出すでしょうか。

猪木さんになったつもりで世界を見渡してみれば、これまで「壁」だと思っていたものが、実は「道の入り口」であったことに気づけるかもしれません。

迷わず行けよ、行けばわかるさ。 その一歩が、あなただけの「道」になるのです。

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