プロレス的音楽徒然草 ドラゴンスープレックス
黄金のジュニア時代
今回は藤波辰爾さんの入場テーマ曲「ドラゴンスープレックス」をご紹介したいと思います。大分県国東郡に生まれた藤波さんは、アントニオ猪木さんに憧れ、1970年に別府温泉へ湯治に来ていた同郷の北沢幹之さんに入門を直談判します。
北沢さんから、6月16日に日本プロレスの興行が行われる旧・下関市体育館へ行くように言われ、そこで猪木さんと初対面を果たします。藤波さんはそのまま巡業に帯同した後、上京して日本プロレスに入門し、念願だった猪木さんの弟子となりました。
新日本プロレス旗揚げ
猪木さんが日本プロレスを除名された翌日の1971年12月14日、藤波さんも退団を決意します。夜逃げ同然で日本プロレス事務所近くの猪木後援会事務所に身を寄せ、1972年、新日本プロレスの旗揚げより参加しました。
1978年1月23日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてカルロス・ホセ・エストラーダを、初公開のドラゴンスープレックスで破り、WWWF(現:WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得。ここから日本中に「ドラゴンブーム」を巻き起こします。
鉄人が歩んだ栄光の道
藤波さんの活躍によって、日本のプロレス界に「ジュニアヘビー級」という概念が確立されました。それのみならず、ヘビー級に転向してからも数々の名勝負を残してこられました。
2026年現在、72歳になられても鍛え抜かれた身体で現役生活を続けられている、まさにプロレス界の鉄人です。そんな藤波さんの栄光の過程において、長きにわたり共に歩んできた入場テーマ曲こそが「ドラゴンスープレックス」なのです。
二つの名曲、その違い
この楽曲には、大きく分けて2つのバージョンが存在します。一つは藤波さんが主にジュニアヘビー級時代に使用していた「JOEバージョン」、もう一つはキングレコード系の音源に収録されている「ミノタウロスバージョン」です。
JOEバージョンは、現在でも「ドラディション」のリングで使用されています。一方、ミノタウロスバージョンは、主に他団体や新日本プロレス(NJPW)に参戦する際などに使用される傾向があります。
マニアを泣かせた音源
テーマ曲マニアの間で長年の懸案だったのが、JOEバージョンが長らくCD化されていなかったことです。かつてジャンボ鶴田さんのテーマ曲「J」の会場使用バージョンが発売された際は、ファンとしてこの上ない喜びを感じたものです。
しかし、会場使用音源と市販のCD音源でテイクが異なるケースは昔から多く、その違いが多くのマニアを悩ませてきました。なぜこのような事態が起きるのか、その理由は主に2つのパターンに集約されます。
① 初期の会場使用時はデモ版で、後にCD版へ差し替えられる(演奏者は同じ)
② 楽曲のクオリティや版権の関係で差し替えられる(演奏者が異なる)
「ドラゴンスープレックス」の場合は、後者の②に該当するようです。ちなみに①のパターンは、橋本真也さんら「闘魂三銃士」のテーマ曲を数多く手がけた鈴木修さんの楽曲によく見られる現象です。
待望の初CD化が実現
私個人の印象では「JOE版=ジュニア時代」「ミノタウロス版=ヘビー級時代」というイメージですが、ヘビー級転向後の藤波さんは頻繁にテーマ曲を変更しているため、ファンがどの世代を見てきたかによってイメージは分かれるでしょう。
それでも「ドラゴンスープレックス」は屈指のメジャー曲。いつかJOE版も商品化されると信じていたところ、2022年8月発売の『NJPWグレイテストミュージック CLASSIC』についに収録されました。
歴代テーマ曲への想い
藤波さんは、この他にも多種多様なテーマ曲を使用されてきました。
- ドラゴンスープレックス以前: 「Blue-Eyed Soul」(現在はビル・ロビンソンの曲として有名)、全日本プロレス中継で流れたミーコ版「スターウォーズのテーマ」、「GoGoドラゴン」など。
- ドラゴンスープレックス以降: 「マッチョドラゴン」、「ROCK ME DRAGON」、「RISING」、「レジェンド・オブ・ドラゴン」、「超飛龍」など。
かつてジャンボ鶴田さんの「J」の会場使用版がCD化された時のように、いつの日か藤波さんの全テーマ曲を完全網羅した「コンプリート・アルバム」が発売されることを、今も密かに願ってやみません。
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