プロレス的発想の転換のすすめ(64) ファン気質とクレーム
昭和と令和の観戦環境
今回はファンの気質とクレームのお話です。
昭和から令和まで、会場やファンの移り変わりを体験してきた私としては、断然今の方が過ごしやすく、またプロレスそのものを楽しめている感じはします。
新日本原理主義の時代
昭和の1980年代は「新日本原理主義」が跋扈しており、気に入らなければ他団体に乗り込んで、そこのファンに嫌がらせをする、あるいは会場で暴動を起こすなんてことは、ざらにありました。
実際に私も新日原理主義者にはひどい目にあっていますから、これは間違いないと思います。
殺伐とした昭和の会場
また、船木誠勝選手とお話ししたときも「自分たちは当時、暴動が起きるのが当たり前だと思っていた」という証言を聞いています。
それくらい昭和の会場というのは、プロレスを楽しむにはあまりに殺伐としていたのです。
格闘技へのファン流出
現代の国際問題をみていても、最強や原理主義をこじらせるとろくなことにならないのは、昭和も令和も変わりありません。
しかし、そうした新日原理主義派の多くは、UWFを経て総合格闘技へ流れていきました。
そのおかげで、現在のプロレス会場は大変居心地の良い場所に変わりました。
SNSが持つ光と影
昭和時代と令和で決定的に違うのは、SNSの存在でしょう。ファンの一人ひとりが声をあげることで、変わっていったものもたくさんあります。
しかし、SNSは諸刃の剣で、時に「善意だと思い込んだ言葉」が人を追い込む事件が後を絶ちません。
ですから、SNS運営側も対策を講じ、ブロック機能やミュート機能などで、ユーザーがより楽しいSNSライフを送れるよう工夫してきました。
意見を封じる心理的壁
とは言いながらも、昨今では一部のモンスター化したクレーマーや親などが突出してきたため、昔ほど「物申す」ことが憚られるようにもなってきたように思います。
昭和のように「物申す=暴動」では犯罪ですから、それは論外としても、本来間違っていることや、第三者的に見て明らかにおかしいことに対しては、意見することがあっていいのです。
無関心が招く団体の凋落
ですが、人間の心理として「自分はモンスタークレーマーと思われるのが嫌だ」という感情も理解できます。
かといってファンが問題を放置しておくと、つけあがるのもプロレス界の性(さが)みたいなものです。
プロレス界でなくても「嫌なら観るな」といった(とされる)某テレビ局が、視聴者からそっぽを向かれて凋落した……なんていう事例は結構ありますよね。
健全な批判が守る闘い
特に競争相手のいなくなった大手というのは、本人たちにそのつもりがなくても、洋の東西を問わず現状にあぐらをかく傾向が見受けられます。
何が言いたいかというと、昭和だろうが令和だろうが、おかしなものには「おかしい」と言っていいということなんです。
ただし、その伝え方は直接的な暴力や過剰なクレームではなく、あくまで理知的に、冷静に問題点を指摘していくことが肝心です。
そうしないと、楽しめるはずのプロレスライフが、いつの間にか楽しくないものになってしまうかもしれません。
暴動から学んだファンの質
かつて1987年の両国国技館で行われた「たけしプロレス軍団」の登場に端を発する暴動事件では、ファンの不満が爆発し、会場が破壊されるという最悪の形でクレームが表現されました。
当時のファンは「納得できない闘い」に対し、暴力的な手段でしか意思表示ができなかったのです。
しかし、現代の私たちは、あの日の炎上を繰り返してはなりません。理不尽な内容に声を上げることは大切ですが、それは愛着ある団体の「闘い」をより良くするための、建設的な対話であるべきなのです。
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