[映画鑑賞記] LIFE!
17年6月7日鑑賞。
ウォルター(ベン・スティラー)は、『LIFE』編集部のネガフィルム管理部門で真面目に働きながらも、地味で平凡な人生を送る冴えない男。
想いを寄せている同僚のシェリル(クリステン・ウィグ)に直接声を掛ける勇気もなく、彼女がパートナー探しのウェブサイトに登録していることを知れば、自身も登録してみるものの、特徴的な体験談のひとつさえも書くことがない。しかしお得意の空想の世界では、時にアクションヒーロー、時に勇敢な冒険者となり、シェリルに対して情熱的な台詞を言うことも出来た。しかし所詮それは、空想の世界の出来事でしかなかった。
ある日出社したウォルターは、突然のライフ社事業再編と、それによるLIFE誌の廃刊を知らされる。同時に、事業再編を担当する新しいボス、テッド(アダム・スコット)がウォルターらの前に現れる。
LIFE誌を代表するフォト・ジャーナリストであり、冒険家のショーン(ショーン・ペン)は、いち早く事業再編による廃刊を知っており、ウォルターへの手紙と、LIFE誌のための最後の撮影フィルム、そしてウォルターのこれまでの仕事ぶりに感謝を込めた、「素晴らしい仕事に感謝」という言葉とLIFEのスローガンの入った革財布の贈り物を届けていた。
しかしショーンが「自身の最高傑作ゆえに、最終号の表紙に相応しい」と記す「25番目のフィルム」はそこにはなく、撮影フィルムから欠けていた。(あらすじはwikipediaより)
この映画で主人公ウォルターの妄想癖をみていてどうも既視感があるなと思ったら、1980年からビッグコミックスピリッツに連載されていた高橋留美子作「めぞん一刻」の主人公・五代裕作とそっくりだった。五代君はさえない浪人生で、アパートの未亡人の管理人さんに恋をし、あらぬ妄想ばかりをしているのだが、やがて大学を経て、社会に出るあたりから激動の人生を送る羽目になるなど、何かとLIFEとの共通項が多い。ただ、LIFEは2014年に日本で公開されているので、発表はめぞん一刻のほうが早いのだが・・・・wikipediaには・・・・
(LIFEは)1939年に発表されたジェームズ・サーバーの短編小説「ウォルター・ミティの秘密の生活」(The Secret Life of Walter Mitty)を原作とするダニー・ケイ主演映画『虹を掴む男』(1947年公開)のリメイク作品である。アメリカでは2013年12月25日に、日本では2014年3月19日に全世界で最も遅くの公開となる。
原作は非常に短い短編であり主人公の職業も特定されていないが、LIFEが出版界を舞台としているのは『虹を掴む男』を踏襲している。
とあるため、可能性としては高橋留美子先生が「虹を掴む男」をみていた可能性は否定できない。小池一夫主宰の劇画村塾出身の高橋先生は、劇画村塾の一貫した教えである「キャラが起ってないとだめ。キャラが起ってれば面白い漫画」を学ぶために数多くの「キャラが起っている作品」を研究していたと私は推察している。もしかするとその中に「虹を掴む男」があったとしたら非常に興味深い。
さて、LIFEのオリジナリティとして特筆すべきことは、人生を旅になぞらえて、その描写に徹底した労力を割いているところにある。その旅のワンシーンワンシーンがまるで絵画のような迫力で見ている私の前に迫ってきた。その美しさ、その圧倒的な荘厳さをよくぞここまで切り取ったと思う。
正直「めぞん一刻」要素が強い(と私が思い込んでいる前半)部分は退屈だったのだが、冒険譚に話が移行してい来ると俄然お話が輝きを増す。
実は冴えない会社員であるウォルターには得意なことがある。それはスケボーなのだが、本人的には「できて当たり前」のことなんで、自信には直結していないのだろう。ましてや仕事には何の役にも立ってないし。
前半ではウォルターが登録している出会い系SNS?に自分のアピールポイントを空白にしている描写がある。これは自分に置き換えても身をつまされる部分が多かったため、ウォルターには大いに共感してみていた。まあ、私はあまり恋愛をしない人間なんで、ところどころ重ならない部分はあるのだけど、それでも結構共感できるタイプの主人公だった。
しかし芸は身を助くとはよくいったもので、このスケボーの腕前が大いにウォルターを助けることになるのだ。ウォルターが大自然をバックにスケボーで疾走していくシーンは実に爽快で、スケボーに乗れない私でも「乗れたらいいなあ」と思ってしまった。この「現実ではできないことを映画の主人公と同化することで、あたかも体験できるような気分になれる」という点が大変重要で、LIFEのようなタイプの映画はぜひとも映画館で見るべきだなと強く感じた。
ラストの探し人である冒険家のショーンと出会うまでのヒマラヤの映像もまた圧倒的に気高く気品に満ちたものだった。ショーンの撮影のこだわりや美学も大いに共感できたのだが、ウォルターの亡父が残した「楽しめ」という言葉が一番自分の心には刺さった言葉だった。それはやはり今を楽しもうという方向に自分が舵を切っているタイミングで出会った言葉だったからかもしれない。
私の旅というのは基本プロレス観戦とセットになっていて、プロレスのないところには一切行こうともしないのだが、不思議なもので、試合より会場にたどり着くまでの道筋や、帰りの列車の中から見た光景は今でも結構鮮明に覚えていたりする。LIFEをみていて盛んに旅にでていた20代のころを思い出して、また旅に出たくなってしまった。もっともウォルターのような大冒険出なくてもいいのだけど、人生を楽しんで、彩をそえるならば旅というスパイスは欠かせない。久しく旅らしい旅をしてないので、今年はふらっとどこかへ行ってみようと思う。
もちろん今の自分で行ける範囲に限るけれど。
実にすてきな映画でした。