プロレス的発想の転換のすすめ(87) 常識のズレと闘い
常識のゲシュタルト崩壊
今回は「常識」と「プロレス」についてお話ししたいと思います。
よく「自分の常識は他人の非常識」と言われますが、これは人間関係の本質を突いた言葉です。
ズレが生じる必然性
そもそも、常識というものは自分と他人でズレている部分があるため、最初から噛み合わないのが当たり前です。
「自分の常識=他人の常識」という考えは、幻想であると言っても過言ではありません。
自分にとっての正解が、必ずしも相手にとっての正解ではないという場面は、日常に溢れています。
世代が生む認識の差
プロレスファンを長く続けていると、同世代だけでなく下の世代と交流する機会も増えていきます。
その中で、自分にとっては「当たり前」だと思っている知識や感覚が、若い世代には全く通用しないという事態が多々起こるのです。
伝説のスターの誤算
一例を挙げてみましょう。
かつて、ある会場で30代半ばの男性ファンと話す機会がありました。
会場に星形デザインのグッズがあったので、私は懐かしさから「マスクド・スーパースターさんを思い出しますね」と話しかけました。
しかし、返ってきた言葉は「誰ですか?」の一言。会話はそこで途切れてしまいました。
時代背景を考慮する
この時、私は「プロレスファンならマスクド・スーパースター選手を知っていて当然」という前提で話をしてしまったのです。
しかし冷静に考えれば、その方がプロレスを見始めた頃、彼はすでにレジェンドとして一線を退いていたかもしれません。
知らなくて当然だったわけです。
決めつけという凶器
こうした経験から、自分の常識を相手に押し付け、知っていて当たり前だと決めつけることは非常に危険だと学びました。
例えば、アントニオ猪木さんが提唱した「ストロングスタイル」という概念一つとっても、リアルタイムで熱狂した世代と、今の華やかなプロレスを愛する世代では、その解釈に天と地ほどの差があります。
知識や価値観の量はファン歴や環境によって異なり、それを無視したコミュニケーションは、リング上でのミスマッチのようなものです。
知らない前提の作法
この体験を経て、私は相手が「知らない」という前提で説明を補うよう心がけるようになりました。
あるいは、相手が知らないであろうマニアックな出来事は避け、共通の話題を見つけるように会話のスイッチを切り替える技術を身につけたのです。
例えば、オカダ・カズチカ選手が変えた「新しいプロレスの景色」を軸に話し始め、そこから少しずつ過去の系譜に触れるといった、段階的なアプローチが有効だと気づきました。
対話という名の調整
もし相手が過去の歴史に興味を持ってくれるのであれば、昔の話をすることに躊躇はありません。
ただし、その際も「知らないことを教える」のではなく、共に楽しむスタンスを忘れないようにしています。
かつて長州力選手が「キレてないですよ」という言葉の裏で、独自の感性と世間のズレを闘いに変えたように、常識がズレたときは対話によってお互いの間合いを調整すればいいのです。
孤高の美学を貫く
相手と話が通じないからといって、無理に合わせる必要はありません。
過度な忖度や我慢は不要です。
すべての人と完全に理解し合える世界など、リング上のファンタジーに過ぎません。
天龍源一郎選手が「誰の援護も受けない」という覚悟で己のプロレスを貫いたように、分かり合えない壁があるからこそ、そこには独自のドラマが生まれるのです。
自分の決断を尊重する
もし現状を改善する必要があると感じたとしても、それは相手が変わるかどうかの問題であり、こちらがコントロールできることではありません。
プロレスにおいて、レスラーが己の肉体と信念を信じて技を放つように、私たちもまた、自分の意識を持って進むべきです。
精神的な健全さを保つ
人間心理において、他者との境界線を明確に引くことは精神的な健全さを保つ「防御」となります。
たとえ周囲と価値観が衝突したとしても、自分が「これが正しい」と信じて選んだ道であれば、その決断を誇り高く尊重してください。
リング上での孤独な決断が観客の心を打つように、あなたが自分自身の意志を信じ抜く姿は、きっと誰にも侵せない独自の輝きを放つはずです。
分かり合えない不器用さがあるからこそ、プロレスも人生も、これほどまでに面白く、熱い闘いになるのだと私は信じています。
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