プロレス観戦記ふりかえりまとめ~2025年私的観戦・上半期編
はじめに
2025年は私にとって別れの年になりました。3月に父がまず93歳で旅立ちました。
両親に関しては、私1人がほぼ介護していたので、別れの時が来た瞬間は「やり切ったな」という気持ちしかありませんでした。
私は決して健康ではなく、介護と並行して自分の病気とも向き合ってきました。
実際渦中にいると、それはそれは果てしない闇の中にいるようで、いつまで経っても出口が見当たらない…そんな気持ちで日々を過ごしておりました。

しかし、どんなことにもいつかは終わりがくるもので、いざその時を迎えると、割とあっさりしたもんだなと思いました。
ちょうど上半期が転職や介護、ならびに葬儀で非常に忙しかったため、観戦もわずか3回にとどまってしまいました。
でも数こそ少ないですが、振り返っていきましょう。
2月
GAMSHARA NEW YEAR IMPACT 2025
この頃は父が胃ろうで入院しており、既に長くはないだろうなあ、という覚悟はしていた時期でした。
個人的には、ExcelのMOS資格とったのもこの時期ですかね。少し歯車が噛み合い出した時期で、久々に見たプロレスがとても楽しかったのを記憶してます。
後記に「プロレスが見られているうちは束の間でも現実から離れられる」と書いてましたが、藁をもすがる気持ちでいたんでしょうね。

4月
GAMSHARA SPRING CRASH 2025
3月26日に父が亡くなり、その1週間後に母がてんかんで救急搬送されたため、仕事を休まずをえず、プロレスどころではない生活を強いられていた時期の観戦でした。
そんな中、どうしても観に行きたいと最初から思っていたのが、この大会でした。
夏くらいからは本格的にプロレスを見に行きたいと書いていましたが、実は今振り返るとそれどころじゃなくなってしまった事を思うと、読み返してみて色々辛かったなあとしみじみしました。

5月
がむしゃらプロレスイベント試合第14回創造館 小文字祭
この日はあいにくの雨で、屋内のマットプロレスに切り替わり。私がついた時点では結構席が埋まっていたため、奥の方で観戦してました。
関門トンネルを利用する以上、様々なアクシデントには対応せねばなりませんが、この日は行きが交通事故、帰りが故障車渋滞と、こちらもツキがなくて、無駄に疲れたのも思い出としては残っています。

まとめ
前段でお話しした通り、とにかく色んなことに忙殺されていた上半期でしたが、新しい仕事場にも慣れ、少しずつ元通りの日常が戻り始めていました。
しかしそうは問屋がおろさないということか…。下半期のスタートも結構過酷なものになりました。

それについては、改めて下半期編で振り返りたいと思います。
にほんブログ村

