プロレス謎試合~自分はこうみた!~#6 ブルーザー・ブロディ対レックス・ルガー
CWFにスポット参戦
今回取り上げるのは、海外の金網マッチとして行われたブロディ対レックス・ルガーの試合ですね。
1987年早々に、ブロディ選手はアメリカフロリダ地区のCWFにスポット参戦します。
全米侵攻作戦
当時の全米マットは、ニューヨークの大手プロレス団体WWFが、大手ケーブルテレビネットワークと手を組み「全米侵攻作戦」なる、大掛かりな企業買収を行っていました。
このCWFへの影響も甚大で、長らく同団体の長だったエディ・グラハム氏は、WWFとの企業戦争によるプレッシャーからアルコール依存症に陥り、ピストル自殺をしてしまいました。
後を継いだ日系人のデューク・ケオムカ氏とヒロ・マツダ氏は、2年ほど団体経営を頑張りましたが、1987年の春をもってジムクロケットプロモーションに身売りする事が決まっていたのです。
そんな状況の中で行われたのがこの試合です。
次期世界チャンピオン
ブロディ選手の相手のレックス・ルガー選手は、当時デビュー2年目の28歳で、ヒロ・マツダ氏がCWFのエースにすべく手塩にかけて育て上げた選手でした。
筋肉質でルックスも良く、関係者の間からは「次期世界チャンピオン」として、大いに期待される存在だったのです。
組織化の波は
一方のブロディ選手はキャリア14年の40歳の頃であり、そろそろ引退後のビジョンを考えつつある時期だったようです。
それまでに大手の団体には所属せず、フリーランサーとして全米マットで暴れてきた彼でしたが、そんな彼にとって、WWFを中心とした全米マットの組織化の波というものは、活躍の場が狭まるという意味において、あまり有難いものではなかったようです。
内心は穏やかでは
そしてそんな状況でブロディ選手は高給テリトリーである日本マットを追放されたわけですから、内心は決して穏やかなものではなかったはずです。
のちに全日本にUターン出来たときに、「馬場を裏切ったことを後悔している」といったのは本心だんんでしょうね。
ケージマッチで
ブロディ対ルガーの対決はゲージマッチという方式で行われることになりました。
これはリングをフェンスで囲んで選手が逃げられないようにして試合を行うというものでした。
奇妙な不穏試合
期待の新星と大物レスラーがそんな試合をするわけですから、この試合が興行の目玉になった事は言うまでもない事でしょう。
大きな期待の中で行われたこの試合は、何とも奇妙な不穏試合になってしまったのです。
打っても響かぬ相手に
開始からしばらくは違和感なく「プロレスの試合」が行われて行きますが、試合のあるところから、突然、ブロディ選手が、技に対するリアクションをしなくなるのです。
この辺は対長州組戦(ブロディ&キラー・ブルックス対長州&谷津)と同じですね。
打っても響かぬ相手に、まだまだ新人の域を超えていないルガー選手は困惑の様子を隠せません。
ギリギリ成立しているが
もともとそんなに器用な選手でもないですからね。
試合そのものはギリギリに成立しているものの、ブロディ選手のノラリクラリしたやる気のない様子は変わりません。
困り果てた末
最終的に困り果てたルガー選手はレフェリーに手を挙げ、自ら反則負けを選択し、金網から逃げるように去って行きました。
そしてそのままシャワーも浴びず会場を後にしたのです。
他人事のような様子
一方、ブロディ選手の方はリングに留まっておりましたが、その他人事のような様子は最後まで変わりませんでした。
ルガー選手はのちに「自分にはシュートの技術もないから、何か悪い事をしたら謝るだけだし、そもそもブロディのような大男のタフガイに自分から仕掛けたりはしない。あの時のブロディは無表情なままバンテージに仕込んだカミソリを見せつけたりした。最後はベテランのレフェリーに助けてもらって試合から逃げ出すことができた」と語っていたそうです。
移籍に腹を立てた?
結構舞台裏は生々しい事があったみたいですね。
この試合を最後にルガー選手がジムクロケットプロモーションに移籍したため、一部で「移籍に腹を立てたCWFの幹部がブロディ選手に制裁を依頼した」という説は全くの間違いと思われます。
商品価値を落とす事をしても
そもそもCWF自体が、このすぐ後にジムクロケットプロモーションに買収されるのです。
主なフロントもそのままスライドしましたので、それゆえ、看板選手となるルガー選手の商品価値を落とすなんて事を、フロントが考えるわけがないのです。
フロントの制裁説はデマ
そしてこのルガー選手にプロレスの手ほどきをしたのは、CWFの代表格だったヒロ・マツダさんでした。
ルガー選手がいまだにマツダさんに対して深い尊敬の念を持っていることからも『フロントの制裁説』がデマであることがわかるでしょう。
団体子飼いの腕自慢
それに、そもそもプロモーター嫌いのブロディ選手が、プロモーターの為にあぶない橋を渡るわけがありません。
プロレスにおいて制裁試合を担当するのは、ブロディ選手のような大物ではなく、団体子飼いの腕自慢の役割なのです。
なぜやる気を失ったのか?
ブロディ選手が、この試合の途中から「真面目にプロレスをする」気持ちを喪失してしまった感じはありありと伝わってきます。
ではブロディ選手はなぜやる気を失ったのでしょうか?
誤ってフェンスに
試合途中でルガー選手がブロディ選手を金網に打ちすえるシーンがあるのですが、そこでルガー選手は誤ってブロディ選手の顔をフェンスの硬い部分に当ててしまうのです。
これはルガー選手本人は気がついていません。
これ以降、ブロディ選手のファイトが不貞腐れたもののようになって行きますので、この試合が不穏試合になった主要因はこれなのではないでしょうか。
定番の動きができていない
そして、フェンス誤爆だけではなく、この映像を視る限り、当時のルガー選手はまだまだグリーンボーイの域を出ておらず、プロレスの定番の動きがちゃんとできていないように感じます。
ブロディ選手は自身のプロレスの型というものを極端に大事にするレスラーでしたから、たどたどしいルガー選手の動きに思わずキレてしまったのでしょう。
CWFに義理立てする必要は
先ほども申し上げた通り、アメリカマット再編の動きというものは、フリーランサーのブロディ選手にとっては全く有難くないものでした。
そしてその再編団体であるジムクロケットプロモーションから自分にお呼びがかからない状況では、これ以上、このCWFに対して義理立てをする必要はなかったのです。
やっかみに似た感情
そしてそんな状況下で、ブロディ選手自身が年齢的な衰えも実感していたわけです。
だからこそプロレス新時代の申し子のようなルガー選手に相対して、やっかみにも似た感情を抱いてしまったのは、無理からぬところだったのかもしれません。
やる気を失った
そんなわけで、この試合の結論は「ルガー選手のしょっぱさにブロディ選手がやる気を喪失し、試合がグダグタになってしまった」のだと思われます。
ブロディ選手は、同時期にまだベイダーになる前のレオン・ホワイト選手とも試合をしていますが、このあとすぐ、ベイダーとして覚醒するまで間がないことを考えても、ホワイト選手が不自然なくらい弱々しいのです。
常に自分勝手
ブロディ選手は自己主張が強く、各地のプロモーターやマッチメイカーと衝突が絶えなかったといいます。
試合の中でも相手を立てず、常に自分勝手な試合運びに終始することで知られていました。
自分の物差ししかない男
あの猪木さんが「自分の物差ししかない男」とブロディ選手を評しているほどです。
結局、1988年7月17日、プエルトリコ・サンファンの試合会場で、マッチメイカーのホセ・ゴンザレス選手に刺され、ブロディ選手は42歳の短い生涯を閉じました。