私的プロレススーパースター烈伝#75 中牧昭二
ベストセラー作家!
今回は、1990年代のデスマッチシーンで一世を風靡した中牧昭二選手のお話です。
1990年代のプロレス界には、変わり種がたくさんいました。その中に中牧昭二選手もいたわけです。
1977年に運動具メーカーに就職し、退社後『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』という著書を出版します。内容はプロ野球選手のタカリ体質を記述したもので、この暴露本はベストセラーを記録しました。
突然のプロレス転向
その後、突然『東京スポーツ』でプロレスラーになるという宣言をし、『SWS』の入団テストを受けましたたが不合格になります。中牧選手は、レスラーになるまでレスリング経験はなかったのですが、大学時代にアメフトをやっており、レスラーとしては小柄ながらもがっしりとした体格とサロン焼けした精悍な肌がいかにもプロレスラーらしい外見をしていました。
SWSの入門テストが不合格になったあと、「お前は最低な事をした最低な奴、でも面倒見てやるからありがたく思え」という大仁田厚選手の鶴の一声で、FMW入門を許可され、プロレスラーとしてのキャリアをスタートさせます。
永遠に決別?
大仁田選手は中牧選手と「恩師とその弟子」的なアングルを作りたかったらしく、FMWの年末タッグリーグのパートナーに、中牧を選手を指名します。しかし、中牧は「出場契約は終わっている」と拒否し、FMWを離脱します。当時これだけはっきり大仁田さんにNOを突きつけれたインディーズレスラーは他にいなかったので、これまた話題になりました。
これで大仁田さんとは永遠に決別にならないところが、プロレス界の魑魅魍魎さなんですが、それはまた後に述べたいと思います。FMW離脱後、中牧選手は『W★INGプロモーション』入門テスト代わりのチャレンジマッチに挑みます。
確執は生まれど・・・
試合は敗北しましたが、その健闘ぶりが認められて入団が許されます。その後W★INGの後継団体『IWAジャパン』「大日本プロレス』と転々としながらデスマッチ一筋のレスラー道を歩み続けます。
しかし、ミスター・ポーゴさんと共に大日本プロレス離脱を宣言した時には、大揉めになり、路上喧嘩のトラブルにも巻き込まれています。記者会見をやっている最中にグレート小鹿選手が乱入し路上乱闘を繰り広げています。
ここでもグレート小鹿さんとの確執が生まれますが、この縁もこれっきりにはならなかったのが、不思議なところです。中牧さんの試合はGパンの私服姿が多く、それだけストリートファイト系の試合が多かったって証明ともいえると思います。
数々の名勝負
俗に言う「ド素人上がり」のインディーズレスラーですが、試合の印象は決して悪くなかったので、カルト的な人気を誇っていました。中牧さんは30代でデビューした事もあり、レスラーになるのに他のレスラーにはない決意や覚悟があったはずで、そういう重い物を背負って闘う的なモチベーションがあったのでしょう。
そんな中牧さんには数々の名勝負が存在しています。IWAジャパンの後楽園大会で対戦したカクタス・ジャックとの有刺鉄線マッチでは、カクタスのラリアットを有刺鉄線を背にして受け、カクタスと共にリング外に真っ逆さまに転落しています。
勿論防御マットは敷いてあるのですが、それでも頭から落ちたら廃人になってもおかしくない状況で、そんな捨て身のやられっぷりも中牧選手の魅力でした。
対蝶野正洋戦
また、1997年1月4日には、新日本プロレスと大日本プロレスとの対抗戦において大日本の一員として新日本プロレス東京ドーム大会に参戦しています。このドームの大舞台では、蝶野正洋選手と対戦を実現させています。
中牧選手は当時のメジャー団体のリングでは無縁だった有刺鉄線ボードを持ち込む契機を作り、時間は短いながらも、両者の良さが互いに出た試合となり、ファン、関係者には評価が高い試合となっています。
会社員経験が生きた
インディ―ズ団体とはいえ格闘技経験なしの、中牧選手が移籍して直ぐエース級になれたのには、その捨て身の試合内容と共に堅気の会社社員経験も効を奏したと言われています。
カオスな90年代で花開いた中牧昭二選手も97年に大日本プロレスを辞めた後は、あんまり試合を見る機会はなくなっていきましたが、実はカムバック後、因縁関係にあるはずの大仁田さんとは再三デスマッチで闘っています。
らしからぬ転職ぶり
そして大仁田さんが参議院議員に当選した暁には彼の秘書になっていたのです。大仁田さんが議員辞職しても請われて、他の自民党議員の秘書もやっていたそうで、インディーズプロレス界のみならず政治の世界でも上手くやっていけたというには、実に世渡りがうまかったのでしょうね。
元デスマッチレスラーらしからぬ転職ぶりです。
現在は芸能事務所の顧問をやり、事務所に所属する双子のアイドルユニット「あすきょう」とともにプロレスリングZERO1などのリングにたびたび登場しているそうです。2020年7月には、プロレスリングZERO1を運営する株式会社ダイコーZERO1の監査役に就任し、今もプロレスとは関わっています。