[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝#24 永田裕志

ヤングライオン時代

今回は今なお第一線で活躍している永田裕志選手のお話です。永田選手は1992年、アマレスの全日本選手権優勝後、新日本プロレスに入門します。1992年9月14日にデビューを果たしました。

ヤングライオン時代は、藤原組に遠征にでたり、Uインターとの対抗戦で桜庭選手とタッグで対戦するなど、話題を残しました。また、95年のG1クライマックスでは、来る日も来る日も斎藤彰俊選手とシングルマッチが組まれていました。

G1に限らず、この時代は同じ蹴りの使い手である彰俊選手とのシングルはよく組まれていたらしいですね。

海外武者修行へ

1997年から海外武者修行としてWCWに出発します。WCWでの武者修行を終えた永田選手は、翌1998年に帰国し、2001年のG1クライマックスでは決勝戦で武藤敬司を破り初優勝します。

1999年8月28日、神宮球場で盟友・中西学選手と組んで、自身初のタイトルとなるIWGPタッグ王座を獲得しました。この頃にリングコスチュームを青いショートタイツとレガースにし、以降マイナーチェンジをするもののこのカラーリングで定着します。

2002年4月5日、IWGPヘビー級王座を奪取し、以降、2003年5月2日に高山善廣さんに敗退するまで、橋本真也さんの持っていた防衛回数9を更新する10度の防衛を果たし、ミスターIWGPと呼ばれるようになります。

惨敗だった格闘技挑戦

しかし、ほとんど準備期間のないまま試合にのぞんでしまった2001年12月31日のミルコ・クロコップ戦、2003年12月31日のエミリヤーエンコ・ヒョードル戦では惨敗しました。

永田選手の場合、知名度バツグンのものが「敬礼ポーズ」です。これは2000年頃から必殺技の「ナガタロック」をかける前に会場の隅まで見渡す意味を込めて始めたのがきっかけだそうです。

今では「1・2・3 ゼァ!!」と「敬礼ポーズ」をすることはファンにとってはなくてはならないこととなっています。

敬礼ポーズ

2018年サッカーW杯ロシア大会セネガル戦にて本田圭祐選手が同点ゴールを決めた際に岡崎慎二選手と披露した「敬礼ポーズ」は永田選手の「敬礼ポーズ」ではないかとネットで騒がれるほど、「敬礼ポーズ」と言えば永田裕志ということが浸透している証拠ですね!

ただ師匠のアントニオ猪木氏からは批判されていたそうです。

白目を見ると・・・

もうひとつ永田裕志と言えば「白目」ですね。

これは「腕固めをしながら白目を剥く」という2006年頃から注目されるようになり、最近では腕固めが決まった際に「白目」コールが起こるほど会場が盛り上がる場面のひとつであります。白目が出る前に技を返されたりすると「ブーイング」が起こるほどです。またある時期には「白目」を見るとご利益があるとまでいわれました。

中年ファンの希望の星

しかし、2020年のニュージャパンカップで繰り広げた鈴木みのる選手との死闘で、往年のすごみを復活させ、2021年にはアメリカAEWに乗り込んで、当時の王者ジョン・モクスリーとIWGPUSヘビー級王座をかけて対戦し、惜敗しますが、大きなインパクトを残しました。

この時も白目式腕固めを披露し、むこうの実況でも「シロメ!シロメ!」というフレーズが使われています。現在も“中年ファンの希望の星”として、永田は50代でのIWGPヘビー級王座への返り咲きをめざしています。

私的プロレススーパースター烈伝 | せかぷろ
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