私的プロレススーパースター烈伝⑪長州力
新日本入門前
今回は言わずと知れた革命戦士・長州力選手のご紹介です。長州選手は1951年12月3日、山口県徳山市で四人兄弟の末っ子として生まれました。
スポーツは野球と柔道で活動、岐陽中学の柔道部を経て、山口県桜ケ丘高校のレスリング部に特待生として進学した後は、レスリングに打ち込み、大学レスリング関係者から注目され、アマレス強豪校の専修大学商学部に特待生として入学します。
オリンピック出場
大学2年の1971年、全日本学生選手権のグレコローマン90kg級で優勝する。ミュンヘンオリンピックではフリースタイル90kg級に出場し、戦績は1勝2敗(減点制度により失格)。大学4年でキャプテンとなり、1973年の全日本選手権ではフリースタイルとグレコローマンの100kg級で優勝しています。
卒業後の進路選択の際、NETの運動局長だった永里高平(早稲田大学レスリング部OB)の仲介で新日本プロレスの新間寿営業本部長にスカウトされ、1974年に新日本プロレスへ入団します。
伸び悩んだプロ入り後
1974年8月8日、日大講堂でのエル・グレコ戦でデビューを果たし、サソリ固めで勝利を飾ります。その後すぐに海外武者修行に出され、ヨーロッパや北米を転戦します。
デビュー時のリングネームは日本名の吉田光雄であったが、海外武者修行から帰国後の1977年4月より、故郷長門国の別名である長州にちなんで長州力と改名。しかし、活躍の機会は与えられていたが、華やかさに欠け無骨な長州は人気が上がらず、精悍で女性や子供受けするジュニアヘビー級の藤波辰巳や木村健吾の後塵を拝す形になります。
噛ませ犬発言とは
1982年に入ると、藤波辰巳との抗争劇で一躍ブレイク。ブレイクのきっかけとなったのは「藤波、俺はお前の噛ませ犬じゃない」と発言したことからとされていますが、実際に発した言葉は「なんで俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ。なんで、俺がお前の前にコールされなきゃいけないんだ。」でした。
これは格下が先に入場し先にリングアナウンサーに紹介されるのが業界の慣わしであったことを指しています。
造反に至った心情
「噛ませ犬」という言葉が取り上げられるようになったのは、長州が雑誌『ビッグ・レスラー』1982年12月号における造反直後の単独インタビューの中で「だけど、ここで自分を主張できなかったら、僕は一生 ”かませ犬” のままで終わってしまうんですよ」とコメントしたことに対し「藤波のかませ犬になるのは、もうごめんだ!」というインタビュータイトルが付けられたことが発端でした。
その後、古舘伊知郎アナが実況の中でも「かませ犬」という例えを多用します。実際に本人が発した言葉ではないのですが「俺はお前の噛ませ犬じゃない」という台詞は、造反に至った長州の心情を明確に印象付ける表現として浸透していったのです。
人生にも一度くらい
WWFインターナショナル・ヘビー級王座を巡って藤波さんとは「名勝負数え唄」と謳われる連戦を繰り広げ、1983年4月3日には藤波さんからピンフォール勝ちを収めてついに王座奪取。
「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」というコメントを残しました。
全日本参戦
1984年9月21日をもって長州ら維新軍は新日本プロレスを退社し、ジャパンプロレスを旗揚げ。維新軍に所属するレスラーを率いて戦場を全日本プロレスへと移します。
長州力選手の全日本参戦という話題性は中継を行う日本テレビ放送網を動かし、1985年秋から全日本プロレス中継がゴールデンタイムに復帰しました。
全日本マットにハイスパート・レスリングを持ち込んだのは長州選手です。結果的にはそれまでオールドファッションなアメリカン・プロレススタイルが主流であった全日本の試合内容に変革を起こすこととなりました。
特に全日本所属の天龍源一郎選手は長州さんにライバル意識をムキ出しにし、後の天龍革命は長州の維新革命に触発されたものであることを公言しています。
新日本Uターンへ
1987年ほぼ強引な形で全日本を離脱、新日本にUターンします。
長州一派の合流に際し、一足先に新日本に合流していた前田日明率いるUWFとのからみがファンに期待されましたが、目立った直接対決の機会のないまま新世代として長州、藤波、前田らは共闘し、猪木世代を相手に世代闘争を繰り広げることとなります。
顔面蹴撃事件
しかし新日本隊対長州軍という流れへと移行していくと、次第にUWFの存在を希薄化され解体吸収されることを危惧しナーバスになった前田さんが長州さんとの確執を顕著にしていく中、11月19日後楽園ホールの長州軍対UWFの6人タッグマッチにおいて、前田さんによる長州さんへの顔面蹴撃事件が勃発。
これにより長州は眼窩底骨折で長期欠場、前田は新日本を解雇され独立の道を歩み、第二次UWFの旗揚げへと繋がっていきます。
波瀾万丈な人生
これ以降、長州・新日本とUWFという後のプロレス界を席巻、牽引していく二大潮流の源流であり、また両者両団体の因縁の発端と言う意味でも、プロレス界における昭和から平成へのひとつのエポックとなった事件といえます。
その後、一度引退をした後、大仁田戦のため復帰。WJプロレスなどの心配を体験するなど、長州選手の人生は非常に波瀾万丈でした。
しかし、2019年6月26日、後楽園ホールで行われた「POWER HALL2019」における、藤波辰爾&武藤敬司&真壁刀義戦をもって二度目の現役を引退し、現在はそのユニークなツイッターで現役時代とは全く異なる人気を博しています。