[プロレス] プロレススーパースター烈伝⑱将軍KYワカマツ

国際プロレス入団

今回は、ストロングマシン軍団のマネージャーとして、80年代の新日本プロレスマットで暴れ回った将軍KYワカマツこと、若松市政さんのご紹介です。

若松さんは電気技術者を経て、1972年に一般社員として国際プロレスに入社。トレーニングを重ね73年に、当時としては超遅咲きの31歳でプロレスデビューした苦労人です。

KYは実在した!

81年に国際プロレスが崩壊したあとは、単身カナダのカルガリーに渡り、国際プロレスが崩壊すると、電気技師の資格を生かして電気工事の仕事をしながら資金を貯め、カナダのカルガリーへ渡ります。

カルガリーのスチュ・ハートさん主宰のスタンピード・レスリングで、悪役マネージャーのショーグン・KY・ワカマツ(Shogun KY Wakamatsu)として、ヒール勢をマネージメントし、彼らと組んで試合にも出場しています。リングネームの「KY」とは、かつてカナダにKYという悪のジェネラルが実在しており、それにあやかってハート・ファミリーが命名したものです。

マシーン軍団で大ブレイク!

84年に新日本でマシーン軍団ブームを巻き起こし、レコードデビューまで果たすなど、一躍時の人になります。

そして、1986年5月1日には両国国技館のメインイベントにおいて、国際プロレス時代から親交があり、マネージャーもしていたアンドレ・ザ・ジャイアント選手と組み、アントニオ猪木&上田馬之助組とタッグマッチで対戦しています。

市議会議員へ

その後SWS設立に携わり、SWS崩壊後は様々なインディ団体で活躍。1999年に芦別市市議会議員を四期務めた傍ら、SWS時代に一緒だった畠中浩旭選手のアジアンプロレスに参戦しています。

そして、芦別市議会議員選挙で再び当選。4年ぶりに市会議員の座に返り咲きました。

生真面目な素顔

プライベートでは非常に真面目な人物で、国際プロレス時代にはレスラーとしてデビューした後も資材運搬やレフェリングを行い、資金や人材面で苦労した団体のために尽力されていたのは有名な話です。

また、先述したように1985年に発売した「俺はKYワカマツだ 檄!」のレコードジャケットには「歌、若松市政」とあります。が、内容はラップに近いものでした。

ご立派な大人

「お前ら、俺様みたいなご立派な大人になりたかねえのか?」と悪役マネージャーらしからぬ歌詞が羅列されており、若松さんの真面目さが垣間見えます。

まあ、ご本人もまさか後年、ご自身が芦別市議会議員市議になるという未来は、この時は想像もされていなかったとは思いますが(笑)

ウィットに富んだ悪役

若松さんの新日本プロレス参戦時には、白や赤のコスチュームに丸レンズのサングラスと山高帽、手にはムチと赤塗りの拡声器をトレードマークに暴れ回り、観客から巨大な「帰れ!」コールを受けるのが常でした。

それを逆手にとってコスチュームの背中に「K A E R E」の五文字を刺繍したり、悪役ではあるがコミカルなキャラクターで、試合中は拡声器を通じて観客に悪役然としたセリフをがなり続け、「ハゲ」と野次られると「お前もいつかハゲるんだ!」と切り返すなどトークに軽妙さがあり、またアントニオ猪木さんに言い放った「お前を倒すのに3分もいらねぇ、5分で充分だ!」という台詞は語り草になっています。

悪の正太郎君は今・・・

さて、国際プロレス晩年の1980年には若松さんの海外武者修行が行われる予定でしたが、団体が崩壊する事を知った若松さんは、最後まで営業にも奔走していたそうです。

その生真面目さゆえか、かつて袂を分かったスーパーストロングマシン選手の引退記念試合には、往時の衣装で一夜限りのマシン軍団を復活させ、またマシン選手の実子である、ストロングマシンJ選手がデビューする際は、ドラゴンゲートでもマシン軍団を復活させています。

2019年に芦別市議会議員に再当選し、今も時折、アジアンプロレスでは選手として試合もしているそうですが、国際プロレス時代やカルガリー時代に走破した移動距離の経験からか、御歳70ごえにして離島や僻地の大会も苦にならないそうです。私的には、いつまでもお元気でいて欲しいレジェンドの一人です。






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