[プロレス用語辞典] (タ行) デスマッチ
より危険なものに
今回のプロレス用語辞典はデスマッチです。
デスマッチとは、プロレスの試合形式の一種で、プロレスのルールをより危険なものに変更したり、特殊なリングを使用したりするものです。
血飛沫が飛ぶ
時に蛍光灯で殴り合い、有刺鉄線ボードの上にダイブし、相手の脳天に躊躇なく竹串の束を突き刺すこともあります。
傷だらけの選手同士がぶつかり合うたび、ガラスの破片混じりの血飛沫がリングサイド席まで飛んでくることもあります。
生きて帰ることが
しかし、その目的はあくまで「生きて帰る」ことが目的で、タイトル通り「死」を目指しているわけではありません。
デスマッチのカリスマといわれる、プロレスリングFREEDAMSの葛西純選手は「デスマッチのリングで生きるか死ぬかのすれすれの戦いをして、試合を終えてリングを降りる時に生きている実感を感じる」と語っています。(引用元:「生きて帰るまでがデスマッチ」47歳カリスマレスラーが今日もリングで血を流す理由)
目的の変遷
デスマッチの歴史を紐解くと、試合の目的も様々な形で変遷を遂げてきたことがわかります。
デスマッチは本来、完全決着をつけるための試合を意味していました。
完全決着をつけるため
もともとデスマッチという単語が使われ始めたときは「時間無制限の試合」を指していたのです。
ただし、1990年以前は、リングアウトや反則裁定などで勝敗が決着することが多かったため、ランバージャック・デスマッチ、金網デスマッチ、五寸釘デスマッチなどの場外への逃げ道を封じ、完全決着をつける方式が考え出されました。
日本初釘板デスマッチ
有名なのは、1978年2月8日 日本武道館において行われたアントニオ猪木対初代・上田馬之助の一戦でしょう。
この試合は日本初の釘板(ネール)デスマッチとして行われ、場外には4万本もの釘板が用意されたそうです。
窮余の策
ただ、この試合は完全決着というより、猪木対上田というカードでは、集客が伸びなかったための窮余の策だったといわれています。
しかし、1990年代以降は、通常ルールにおいても反則やリングアウトの裁定をとらないことが多くなり、この目的でデスマッチが行われることは減少していきました。
スペクタクルを演出する
代わって登場したのは、スペクタクルを演出するタイプのデスマッチで、FMWにおけるノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチを契機に表れました。
観客は「いつ選手が道具や凶器の餌食になるか」を主眼にして観戦するようになっていきました。
団体の独創性を演出する
1990年代からは、自作の凶器を持ち込む選手もおり、有刺鉄線バット、五寸釘バット、鎌など、日常的に凶器を使うことでレスラーの個性とする流れが出てきました。
ここからさらに進化したのが、レスラー・団体の独創性を演出するデスマッチで、この時代の申し子が葛西純選手だったのです。
ハードコアマッチは
なおハードコアマッチは、この意義をより推し進めることで編み出された試合形式です。
日本においてはデスマッチのほうを危険度の高いルールで実施している団体がほとんどですが、アメリカではテーブル、ラダー、椅子を使ったTCLマッチとよばれるハードコア戦が多く行われている印象があります。