[プロレス用語辞典] (サ行) 世界のプロレス
2つの意味
今回の用語辞典は「世界のプロレス」です。
「世界のプロレス」には大まかに分けて2つ意味があります。
プロレス番組と団体
①1984年10月20日から1987年3月までテレビ東京系列局で放送されていた、主に海外のプロレスを紹介の対象としたプロレス番組。
②レフェリーでライターでもあったウォーリー山口氏が、ブッカーとしてかかわっていたインディープロレス団体。1999年に北九州で旗揚げ。2000年頃まで活動。
「世界のプロレス」という番組
①については、もともと放送されていた国際プロレスの放送枠を使ったテレビ東京(東京12チャンネル)のプロレス放送枠で、主にアメリカのNWA・AWA・CWA・MSWAおよびメキシコのルチャリブレの試合映像に、日本語の実況・解説を付け加えて放送していました。
1985年のWWFと新日本プロレスとの提携解消後は、日本でWWF選手の試合が見られる貴重な番組となり、1986年の「レッスルマニア2」は3週に渡って全試合が放送されています。
まだ見ぬ強豪とUWF
「まだ見ぬ強豪」として注目されていたロード・ウォリアーズの試合をいち早く放送するなど、未来日の選手の人気を高めることにも貢献しました。
また、第一次UWF(日本のUWF)の試合も2回放送されたが、UWFのスポンサーである海外タイムスが豊田商事の関連会社だったこともあり、豊田商事事件をきっかけにUWF中継は打ち切られました。
深夜帯で
私の住む地方では、当時テレビ東京系列のネット局がなかったため、クロスネット(地上波を用いる日本の放送局において、複数のネットワークに属すもののこと)で、主に深夜帯で放送されていました。
UAFの中継は全二回でしたが、うち一回は下関市体育館で行われたものです。
テレビ東京最後の
残念ながら当時私は広島に住んでいた関係で、この大会を生では見ていませんが、録画テープは今も実家にあります。
なお、テレビ東京自社制作のプロレス番組は「世界のプロレス」が最後となっています。
団体の「世界のプロレス」
②については、私は三回ほど生観戦しており、うち一回(1999年6月5日)の観戦記が残っています。
この日の大会は「世界のプロレス」中BESTと呼べる大会で、「世界のプロレス・中間大会」で検索すると、私以外にも観戦記を書いて残している方が何人かいらっしゃいます。
せかぷろは
なお、1999年12月に世界のプロレスはもう一回中間で大会を開いていますが、6月とは別物の内容になっていました。
余談ですが、当ブログ名である「せかぷろ」は、1999年当時、団体の方の「世界のプロレス」を略して私の仲間内で呼んでいた「せかぷろ」からつけたものです。