1990年代の大阪遠征⑥ 観劇とプロレスの想い出・前編
お芝居を観に・・・
今回は、プロレス絡みでご縁ができた友人の、観劇に向かった話です。
その友人・・・魔人ハンターミツルギ氏とは今でもお付き合いがあるのですが、当初彼が所属していた劇団員「遊気舎」のお芝居はよく観に行っていました。
プロレスからインスパイアされた
座長の方がプロレスに造詣があるらしく、そこかしこにプロレスからインスパイアされたネタが隠されており、それを探すのも楽しみの一つでした。
私が記憶しているのは、座長さんが私の好きなルチャ映画をみていたらしく、劇団員の中にマスクマンがなんの説明もなく混ざっていたことですね。
自分の城を
さて、そんなミツルギ氏が自分の城を持つ日がきたのです。
その城である「超人予備校」の旗揚げ公演にご招待いただき、私は大阪まで出向きました。
ほぼ思いつきで
実は当日、仕事が休みになるかどうか未定だったのですが、運良く休みになりました。
しかもTVは貴乃花関の結婚報道一色で、自宅にいても大して面白くないので、ほぼ思いつきで当日大阪行きの切符を購入して、そのまま新幹線に飛び乗りました。
震災の爪痕
関西に近づくにつれて、屋根にブルーシートがかけられた住宅の様子が、新幹線の窓からも伺えました。
ちょうど時節は阪神淡路大震災の直後であり、梅田駅の床には震災の爪痕として、長い長いひび割れができていました。
演劇会場は・・・
当時、方向音痴を自認していた私は、プロレス会場ですら初めてだと迷うくらいでした。
ましてや、演劇をやるようなハコは当時のプロレス界は使用していませんでしたから、旗揚げ公演が行われる場所など行った事がないわけです。
道を尋ねて・・・
そこで梅田駅前の交番に駆け込んで道を尋ねることにしました。
幸い、警察の方も親切に教えてくださり、一発で会場に到着。
会場はいわゆるミニシアターというやつだったのでしょう。お客さんはいわゆるみちのくプロレススタイルで床に座ってみる形になっていました。
隔世の感あり
今考えると隔世の感がありますが、当時はこれが当たり前だったんですね。
こうして私は無事観劇することができました。
そして打ち上げに・・・
受付で名前を告げてミツルギ氏に面会をお願いしたら、奥に通され無事再会を果たしました。
そして、この後の打ち上げに誘われたのです。もちろん断る理由はありません。