プロレス的音楽徒然草 クラッシャーバンバンビガロのテーマ
最大の謎
今回は最大の謎にして未だに商品化がなされておらず、たまにネットにアップされるものの、すぐ消されてしまう「幻のテーマ曲」クラッシャーバンバンビガロのテーマをご紹介します。
さて「クラッシャーバンバンビガロのテーマ」とは書いたものの、実はこの曲、正式なテーマ曲名も私が調べた限りでは不明です。ビガロ選手のテーマ曲としては、初期新日本で使用されていた「ジョーズのテーマ」と、WWF時代の「Headwood」は現在でも購入が可能です。
プロレスのうまい選手
しかし、この「バーン、バーン、ビ・ガ・ロー!」ではじまる「クラッシャーバンバンビガロのテーマ」は過去に遡ってもレコード化はおろか、CD化もされていません。ちょうど入場テーマ曲として使用されていた時代が、ビガロ選手の日本における最盛期だったこともあり、耳に残っているわけです。
クラッシャーバンバンビガロという選手は、ビア樽モンスターという異名のとおり、あんこ型のプロレスラーです。しかし、その見た目と裏腹に非常に運動神経がよく、器用なプロレスラーでした。まさに「プロレスのうまい」選手だったと思います。
ほうき相手でも・・・
元・横綱北尾光司のデビュー戦でみせた「うまさ」や、長州、藤波、闘魂三銃士とみせた「激しさ」も自在に表現しており、1990年2月10日に、新日本の東京ドーム大会に、全日本プロレスから選手が派遣された「返礼」に、ビガロ選手は全日本にも登場しています。それくらいきちんとした「仕事のできる」プロレスラーだったのです。
「俺はほうき相手でもプロレスができる」というのはビガロ選手が現役時代に豪語していたフレーズですが、これはかつてミュージカルスターのフレッド・アステアが「帽子掛けとでも踊れる」と言われていたジョークのパロディらしいですね。
フレッド・アステアの素晴らしいダンスは有名な映画「雨に唄えば」で見ることができますが、実に上手い例えだな、と思います。
対前田日明戦
個人的にはWWFに行く前、第1次UWF崩壊後、新日本にUターンしていた前田日明選手とのシングルマッチが印象に残っています。この試合は首固めでビガロ選手が勝っていますが、この下関大会はちょうど「ギブUPまで待てない」の第2回放送で中継されており、映像も残っています。
前田選手の持ち味を出しつつ、短時間で格闘王を丸め込んだ技量はいまだに忘れられません。
ちなみに、ノーテレビだった萩大会でも同じカードが組まれており、ほぼ同じようなタイムと決まり手でビガロ選手が勝っています。萩は第1次UWF時代に閑散とした入りを記録した土地で、つくづくUWF…というか前田日明選手にとっては鬼門の土地だったようです。
著作権問題は?
プロレスでは世界中で輝かしい実績を残しているビガロ選手ですが、唯一の黒歴史は、1996年U-JAPANのメインイベントでキモと総合格闘技ルールで対戦したことでしょう。この対戦は「入れ墨対決」として話題を呼びましたが、開始2分15秒にチョークスリーパーで一本負けを喫して破れています。
今のように総合格闘技とプロレスの境目が明確でなく、また異種格闘技戦との区別もついていなかった時代に、わざわざ格闘技の生贄になったプロレスラーはたくさんいますが、全く種類の違う競技をろくな準備もなしに、相手の土俵で闘うというのは、あまりに無策がすぎます。そう考えると、黎明期の総合格闘技の人柱にされた事実は、プロレス者からすると「黒歴史」にしたい事実でしたね。
ビガロ自身が・・・
さて、私が聞いた話では「クラッシャーバンバンビガロのテーマ」はビガロ選手本人が吹き込んだオリジナルテーマ曲らしいのですが、ビガロ選手が2007年にお亡くなりになられた後、どこに著作権があるのかも分からず、商品化されていないものと思われます。
しかしながら音源は新日本プロレスにあるようで、何度か会場BGMとして流されていたのを聞いたことがあります。
ということは著作権問題さえクリアになれば、どうにか商品化される可能性もなくはないでしょう。かなり確率は低いですが、望みがないわけではないのです。