今回は自分のファンをつくる話です。自分のファンを作ることは、実を言うと好かれていても、嫌われていてもできます。
もしかすると、あなたは「嫌われているのに、ファンなんかできるわけないでしょ!」と思われるかもしれません。しかし、プロレスを観ればおわかりのように、善玉レスラーだけでなく、悪玉レスラーにもファンが存在しています。
nWo登場以降のプロレスでは、ファッショナブルヒールとも呼べる「格好いい悪役」が幅をきかせてきたこともあって、ベビーフェイス=人気者という図式は完全に崩壊してしまいました。
業界最大手の新日本プロレスにおいては、IGWPインターコンチネンタルとジュニアのベルト以外は、ほぼヒールユニットの独占状態になっています(2017年7月頭現在)。しかもそれで観客動員も大幅に増えていますから、悪役が看板になることで、集客にマイナスになることはまずないといっていいでしょう。
さてプロレスラーに限らず、人間には「心の栄養」が必要です。プラスの栄養(ほめられたり、認められたり)がなければ、マイナスの栄養(嫌われたり、叩かれたり)でも求めてしまいます。一番人間が堪えるのは、心の栄養がない状態(無視される、空気になる)なので、「無視されるくらいなら、嫌われる」ことを選んでしまうのです。
しかし、私は長らく「自分がここにいてはいけない」という感覚に囚われたまま、生きてきました。当時の私は「死にたい」「空気になりたい」とおもって生きてきたのです。
つまり自ら望んで「いてもいなくてもいいい」状況を望んだのです。しかし、人が生きていくには、栄養が必要です。にも拘わらず、私は「栄養をとらない」選択をしたのです。その結果、どうなったか・・・・
二年間、寝たきりになったんですね。全く動けなくなったのです。当たり前ですよね。燃料のない自動車が走らないのと同じで、栄養補給しない人間が生きていくことはできないのです。
死にたい人間である私は、生きていかなくてもよかったのですが、なんせ動けないのですから、死ぬことすらできません。それは非常に非常につらい二年間でした。
ですので、生き延びてしまった私は、心にも栄養を求めました。しかし、死にたいくらい自分の存在価値を貶めていた私は、「どうやって栄養を補給したらいいのか」さえわからないでいました。
そもそも人間嫌いからスタートしている私は、にもかかわらず、好かれようとして生きてきました。ところが、よくしたもので、本心では「空気になることを望んでいた」ため、いくら努力しても私は空気以上の存在にはなれませんでした。
さんざん考えたあげく「どうせなら嫌われたほうがいい」と思って、2016年にあらゆる気にいらないものをブログを使ってdisりはじめたのです。すると不思議なもので、今まで無反応だった周囲に「反響」がおこりました。私の書いたものを面白いとさえいっていただけるようになったのです。これは予想外でしたね。
と同時に「心の栄養の採り方」をはじめて自分で学んで理解できたのです。