プロレス的発想の転換のすすめ(81) プロレスに見る円熟
豊かな内容
日本語には円熟という言葉があります。
人格・知識・技術などが円満に発達し、豊かな内容をもっていることを意味します。
プロレスに見る円熟とは?
物事が熟達していくと、角がとれて丸くなっていくことも意味合いとしてはあるように思います。
プロレスに置き換えると、無駄を省いてシンプルだけど、それだけで観客を魅了できる試合や、その技能がある選手たちに、私は「円熟」を感じます。
動けばいい?
しかしながら、最近のプロレスでは運動神経のデパート化が進んでおり、いわゆる「動けばいい」試合が、特にジュニアを中心に増えているように、私には感じられるのです。
具体例を出していくとファンの方には大変申し訳ないのですが、事例として取り上げて見ようと思います。
リアル嗜好の時代
その例とは、レジェンド・武藤敬司選手です。かつてスペースローンウルフというキャラクターでリングに上がっていたころから、煩雑に使っていたスペース・ローリング・エルボーです。
これって今でこそプロレスの様式美みたいになってますが、武藤選手が使い始めた20代のころというのはいわゆるUWFが台頭し、初代タイガーマスクこと佐山サトルさんが「ケーフェイ」という本で、ロープワークにも否定的な見解を示していたりして、いわゆるプロレスにもリアル嗜好が強まった時代でもありました。
リアルを突き詰めると
このリアル嗜好は突き詰めていくと、やがて総合格闘技やK-1へと繋がっていくのですが、武藤選手(と、その化身のグレート・ムタ)は、このスペース・ローリングエルボーを使い続け、ついには観客に認知させてしまいました。
とはいえ、武藤選手が膝を痛め、ダメージが蓄積されてくるとこの技も事実上封印状態になりました。
リアルをも凌駕する
ある種無駄とも思える動きであっても、使い続ければリアルをも凌駕するというのは、歌舞伎や時代劇、あるいはヒーローものの、見栄や名乗り口上に近い感覚があるともいえるでしょう。
歌舞伎にしろ、ヒーローものにしろ、それが様式美として認知されるまでは長い時間を要してきているはずです。そしてスペース・ローリングエルボーもまた認められるまでに時間がかかりました。
円熟の代償として失うもの
ところが、プロレスの場合、この様式美を生身の肉体で表現しています。ですから若いうちに飛んだり跳ねたりできていても、それがキャリアを重ねるごとに難しくなっていくわけです。
武藤選手の場合もそうですが、動けなくなる分、ファイトスタイルを上手くシフトチェンジできる選手はさほど問題ありませんし、若くして引退するつもりならば、それもあまり問題ではないでしょう。
誰よりもプロレスが好き
あるいは大仁田厚選手のように、ジュニア時代と邪道時代とでは別人のようなファイトスタイルに変わってしまう場合もあります。
しかし、悲しいかなプロレスラーというのは、誰よりもプロレスが好きな人種です。だからこそ引退からの復帰を繰り返してしまうのです。
円熟の意味
生涯現役を宣言している武藤選手にしても、引退→復帰を繰り返す大仁田選手にしろ、スタイルの変化、見せ方の変化などいろいろな変化もプロレスとして魅せていきます。
ですから、そうした変化も含めた長いスパンでプロレスやプロレスラーを見続けていくと、「円熟」という言葉の意味が腹落ちするんじゃないだろうか?と私は思うのです。