プロレス的発想の転換のすすめ(62) 暴力とプロレスの線引き
荒れた学校と暴力
今回はリアルファイトとプロレスのお話です。
リアルファイトという言い方は綺麗すぎるので、以下「暴力」もしくは「傷害」と言い換えます。
時代背景もあったのですが、小・中学はいわゆる「荒れた」学校に通っていました。
毎日が絶望
今のようにさまざまな逃げ道があるはずもなく、登校拒否も許されざる世の中でしたから、学校には行かざるを得なかったのです。
そんな毎日は絶望しかありませんでした。
暴力に代わる力
授業は嫌だし、先生も同級生も何かあれば暴力で解決するような環境でした。暴力から逃れるためには、自分が暴力に代わる力を身につけなければなりません。
しかし、身体の弱かった幼少期には、私にそんな選択肢はありませんでした。
搾取される側
親に一度剣道を習わされかけた事がありましたが、その場の空気に萎縮してしまい、二度と通う事はありませんでした。
ですから、小学1年から中学3年まで常に私は搾取される側でした。当然いじめられっ子として。
人間不信は解決されないまま
しかし、父親の遺伝子を受け継いでいた私はいつのまにか身長がのび、見た目だけはデカい一端の大人になっていました。
ところが中身は「いじめられっ子」のままでした。
ですから、根強い人間不信の大元は一切解決されないまま、社会に出てしまったのです。
迷惑行為
話はだいぶかいつまんで、時は流れて私は30代過ぎからコンビニで働きはじめました。
しかし、職場の近所にはこれまた荒れた学校があり、そこの不良生徒たちが、店外や店内で飲酒・喫煙その他迷惑行為を繰り返していました。
こちらからは手が出せない
あまりに度がすぎたので、一度注意したところ、そのうちの一人が殴りかかってきました。
しかし、相手は私より体格も小さく、殴られてもそれほど痛みは感じませんでした。何よりこちらが先に手を出すわけにはいきません。
殴られながらだんだん相手を追い詰めていくと、相手は傘立ての傘で私を殴打しました。
ヒットしたイヤな感覚
とっさに払い除けようとはしましたが、私の手は傘ではなく、相手のアゴにクリーンヒットしてしまいました。あの時のイヤな感触は今でも生々しく記憶にきざまれています。
結局、私は顔面裂傷で救急車に運ばれて、24針縫いましたが、相手も私の掌で20針縫っていました。
暑い中の取り調べ
手術後すぐに警察に呼び出され、私は体格差から最初、加害者扱いされました。
その後嫌疑はとけましたが、夏の暑い最中、冷房切られた取調べ室で調書をとられた思い出は未だに忘れられません。
格闘技が苦手な理由
私がプロレスファンでいられるのは、鍛え抜かれた選手同士が高い技量の元で、確かな技の応酬をしているという安心感があるからで、プロレスより暴力を連想しやすい格闘技は未だに苦手です。
ギリギリボクシング観戦はセーフでしたが、自分でやりたいとはとても思えませんでした。
例外がない限り
これはプロレスにしても同じです。
あの生々しい感触は一生消えて無くなる事はないでしょうから、自分が選手としてマットに立つなど想像するだけで、ゾッとします。
だから、よほどの例外がない限り、私はリングに上がることは、今後もありません。
自分が境界線を引くしかない
暴力と、プロレスの線引きを確かなものにするためには、自分が境界線を引いて、観客に徹する必要があるからです。
こういう経験から私が「最強論」というものにも、さしたる意味を見出していない事を、わずかでもご理解いただけたら幸いに思います。