プロレス的発想の転換のすすめ(121) 楽しいプロレスファンライフとは?(後編)
主観的な観点
マウンティングする人は、自分の価値観を相手に押し付けます。なぜなら、自分が正しいと思っているからです。
つまり、自分は正しくて相手は間違っていると思うからこそ、主観的な観点でアドバイスをしてきます。
全日本初観戦時
ここで事例を一つお話ししましょう。
私が初めて全日本プロレスに行った時の話です。
昭和62年の10月に全日本プロレスを初めて見に行きました。全日本の旗揚げ15周年記念シリーズです。
すごい嫌なこと
場所は下関市体育館です。リングサイドに近いところに席を取って観戦した記憶があります。
実はこの時、すごい嫌なことがあったんですよ。
私の隣に座った人が、なぜかやたら新日本を推してくるんですよ。
絡まれた
私は、全日本プロレスを楽しみにして見に来てるのに、新日本を持ち上げては、目の前の全日本をくさすというわけの分からない奴に、絡まれたんです。
そいつの話を横で聞かされるというのが、すごい苦痛だったんです。
小川対百田
でも試合の方は、結構色々見所があって、第1試合に小川良成対百田光雄というカードが組まれていました。
試合内容は、基本に忠実で、腕の取り合い、足の取り合いから、最後はバックドロップから、逆さ押さえ込みできまるって言う、非常に渋い試合だったんです。
暴走戦士登場
オーソドックスなプロレスリングだったんで、印象に残ってるんですけど、その新日本ファンの男にとっては、退屈だったらしくて、めちゃくちゃいっていましたね。
この旗揚げ15周年記念のジャイアントシリーズには、あのザ・ロード・ウォリアーズが来てたんですよ。
当時の全日本にありがちな特別参戦で、シリーズ後半からの合流だったんです。
大相撲コンビを秒殺
下関市体育館での対戦相手は、ジョン・テンタと高木功の2人でした。
この大相撲コンビを、暴走戦士は短時間であっという間に片付けてしまいました。
ウォリアーズの試合を見終わったウザい新日本ファンは、メインを見ずに席をたって、帰っていきました。
いよいよメイン
当時は会場で会うプロレファンにはろくなのがいなかったんで、そこから私は10年ぐらいプロレスファンの友達は作らなかったんです。
さて、ウザいやつがいなくなっていよいよメインイベントになりました。
天龍革命
メインのカードは、ジャンボ鶴田&ザ・グレート・カブキ&ハル薗田 対 天龍源一郎&阿修羅・原&サムソン冬木という6人タッグでした。
1987年10月は、天龍革命がスタートしたばっかりだったんですね。
地方でも手を抜かない
天龍革命は、地方でも手を抜かないっていうのがテーマでした。
そして実際に見たら、これが本当にすごい試合だったんですよ。
冬木さんが鶴田さん、カブキさんの厳しい攻めを受け続けて、受け続けて、手に汗握る試合になりました。
ハル薗田の覚醒
そして、それまで単なる中堅のイメージしかなかったハル薗田選手が、この試合ではすごく活躍したんです。
これが、若手三羽烏と呼ばれた男の実力だったんだっていうのを見せつけられて、改めて虜になっちゃったんですね。
このメインを見逃して帰ったやつは馬鹿だと思いましたよね。
劣等感を覚えがち
もうそれが嬉しくて嬉しくてしょうがなくて、帰りがけ天気も悪かったんですけど、すんごい上機嫌で帰った覚えがあります。
マウントをとる人たちは、自分より凄い人に対して、劣等感を覚えがちです。
相手を支配しようと
劣等感があるからこそ、自分のことを大きく見せて、相手を支配しようとします。相手を見下し、優位に立とうとする人ほど劣等感があるのです。
もしかすると、私に絡んだ男は全日本に劣等感があったのかもしれません。
相手よりも優れている
マウントをとる人は、自分が優れていることを相手に認めさせたがります。
そのため、何かと自分が相手よりも優れていることアピールすることが多いのです。
自分が優れていることをアピールし、相手を見下したり、言い負かそうとしたりします。
自尊心を満たす
自分が相手よりも優れていることをアピールしマウントをとることで、自尊心を満たすのです。
現在の良識ある新日本のファンはおそらく肩身が狭いことでしょう。
劣等感が固まって
今の新日本は技術重視の団体のファンからは「あそこのファンはわかってない」と言われ、インディー色の強い団体のファンからは「メジャーだからって偉そう」と言われ、昭和のプロレスファンからは「闘いがない」と言われていますよね。
要するにこれらの劣等感が凝り固まって、マウントをとって自分が応援している団体や選手を正当化して、自分は正しいと思い込みたいのです。
受け流すこと
マウンティングされたときの最もいい対処方法は、受け流すことかもしれません。
相手は自分が格上なことを見せつけたいだけなので、聞き流すのが効果的でしょう。
相手は承認欲求が満たされ、満足してくれます。反論したい気持ちを抑えて、なるべく受け流せば、マウンティングも苦痛にならないでしょう。
悪循環にも
とはいえ、全日本を初観戦した昭和62年は私もまだまだひよっこで、「相手が意見を聞かないなら黙っていよう…」と思っていると、さらにマウンティングをしてくるため、悪循環になってしまいました。
今はSNSやリアルで反撃できますが、当時はそういう手段もなかったですからね。
なるべく距離を
このファンがマウントを取るという現象は プロレスに限った話ではなく他のジャンルでも見ることができます。
私が好きなアニメや漫画でも自分の好きが他人の好きより上だと主張する人はかなりいます。
そのたびに嫌な思いをするのですが、そういう人とは なるべく距離を置くようにしています。
違っていて当たり前
私が好きなものは その人の好きではないかもしれませんし、その人の好きは私の好きではないかもしれません。
あなたと私は違っていて当たり前なので、それは当然のことなのです。
しかし私の好きがあなたの好きよりも下だという確たる証拠もありません。
好きも違っていい
私の好きは私の好きで大丈夫だと思います。
あなたと私は別な人間ですから、当然好きも違っていいのです。
そのことがわかってからはずいぶん 気持ちが楽になったと思っています。
好きなものは好き
本来自分が好きなものは好きだと思っていていいのです。
他人の価値基準に左右されることなくプロレスを楽しんでいきたいものです。
マウントを取る人みたいに、過剰な布教さえ慎めば、やがて快適なプロレスファンライフが送れるようになると私は思っています。