プロレス想い出回想録 猪木について考えることは喜びである①死生観と猪木イズム
スーパースターの訃報
2022年10月1日。デビュー記念日の翌日に、燃える闘魂・アントニオ猪木は、旅立っていった。
その影響力の強さは、普段プロレスを扱わない一般紙にも及んでおり、一斉にスーパースターの訃報を報じていた。
知ったかぶった
中でも「反プロレス」の筆頭と思われた朝日新聞が紙面を割いて報道していたのも、事態の大きさを物語るには十分だった。
もっとも朝日らしく「プロレスには演出がある」などと、知ったかぶったご高説も忘れてはいなかった。
対世間を意識
だが、そういった世間の偏見と戦ってきたアントニオ猪木にしてみれば、むしろ天敵に変質されるよりは、遥かに手向となったに違いない。
死せる間際まで「対世間」を意識し、自身の死すらエンターテインメントにしようとした猪木の生き様は、プロレスファンならずとも、たくさんの人間に刺さったと思われる。
元気を演出して
私個人の話で申し訳ないのだが、ここ数年で私を取り巻く環境は激変した。
奇妙なことに、私より先に旅立っていった知己たちは、最後まで弱みを見せず、元気を演出して生き抜いた。
馬場イズム
それは、その人たちそれぞれの哲学であり、生き様だから私は否定するわけではない。
だが、その強がり方に私は馬場イズムを感じてならなかったのである。
関係者ですら
世界の巨人・ジャイアント馬場は、1991年1月、生涯現役を貫いたまま逝去された。
元子夫人の意向により、外部には馬場の病状やその生命が危ないことを一切漏らしてはいなかったため、関係者ですら重篤な状態を知らないまま、訃報に接することになった。
弱みを見せない生き方
弱みをみせずに旅立っていった友人、知人たちに、同じような意向があったかどうかは定かではないのだが、結果的に彼らは猪木信者でありながら、馬場イズムを体現していたのである。
翻って私の話になる。私はそうした弱みをみせない生き方に憧れており、自分もそうありたいと考えていた。
あらいざらい
ある意味、私は馬場イズムの信奉者だったわけである。
しかし、いざ私ががんによる闘病生活をスタートした時、真っ先にやったのは、自分の病や介護について、あらいざらい公表することだった。
曝け出す道
猪木さんほど対世間を意識もしてないし、私程度の生き死にがエンターテインメントになるとか、おこがましくていえやしない。
しかし、結果的に私は猪木さんと同様「曝け出す」道を選んだ。
自分の中の猪木イズム
私なりの一足を踏み出してみたら、憧れた馬場イズムではなく、私の中の猪木イズムが顔を出したのだから、世の中面白いものである。
アントニオ猪木さんの訃報に際して、プロの記者でさえ、自分語りしている記事をたくさん書いていた。
それぞれの猪木
それはおそらく「猪木の死」がトリガーとなり、各人の中に眠っていた猪木イズムが、目を覚ました結果、突き動かされたのではないだろうか?
奇しくも猪木と行動を共にしてきた新間寿元本部長は、「猪木寛至は死すともアントニオ猪木は死なず」という意味のコメントを出していた。
そして、猪木の死と共に猪木を語り出した人々の中に、それぞれの猪木が存在する限り、燃える闘魂は永遠に不滅なのである。