プロレス想い出回想録 我が青春の投稿常連会プレッシャー⑥会員からの電話
地方会員の活動
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週刊プロレスにかつて存在したプレッシャーという組織は、SNSが台頭する以前に存在した稀有な全国組織だった。
最後は地方会員が地方でどんな活動をしていたのか?を書いていこうと思う。
私は中国地区唯一の会員だったため、他の会員と交流するためには、他の地域に行かねばならなかった。
電話をかける猛者
それ以外の方法となると、文通か電話しかなかった。大概の場合は文通ですんでいたのだが、中には電話をかけてくる猛者もいた。もちろん当時携帯などと言うものはない。固定電話の時代である。
当時実家住まいで、営業マンだった私は、仕事も不規則で帰宅が深夜に及ぶことも珍しくはなかった。同居している両親はもともと早寝が基本みたいな人たちだったから、私が仕事から帰っても既に就寝していた。
全団体の話を
そんなタイミングで電話が鳴るのである。だいたい相手は決まっているのだが、この会員はなぜか電話が大好きで、疲れて帰ってきた私にプロレスの話をふっかけてくるのだ。
さすがに毎日というわけではなかったが、90年代から増え始めていたインディ団体の話題に至るまで全団体の話をしないと電話を切ってくれなかった。これには当時本当に参っていた。
戸惑っていた
さっきもいったように、両親は既に就寝しているし、実家同居というのはそれでなくても何かと気を遣う。
ましてや営業という仕事を選んだとはいえ、基本インドアの人間であまり人と話すのは得意ではなかった私には、結構ハードルが高かった。
学生時代、友達と深夜まで電話でくだらない話をするという体験が全くなかった私にとっては、突然降ってわいたような体験に戸惑っていたのも事実だった。
深夜の長時間通話
電話代は向こう持ちなんだけど(私からはかけたことはない)深夜の長時間通話はとにかく大変だった。
今だったらZOOM飲みとかがそれに近いものになるだろうか。あの時代にサシで深夜の長時間プロレストークというのは、我ながらよく付き合っていたなあと思う。