プロレス想い出回想録 ブルースブロディ氏との奇妙な縁③なんとなくの出会い
いつのまにか
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実は、長い付き合いだったブルースブロディ氏との初対面は、あまりよく覚えていない。
昔の事を事細かに覚えている私にしては珍しいのだが、プレッシャー関連の付き合いは、いつのまにか友人になっていたパターンが多い。
プレッシャーに入会してからは多分、実際に会う前に手紙や会報で先に交流していたからかもしれない。
不便なりに楽しい時代
私が入会した当時、中国地方には会員は、私一人で、他の会員さんと交流するには、文通もしくは固定電話しか手段がなかった。
今なら個人情報保護の観点から完全にアウトだが、当時は会員名簿と住所録が、会員全員には配布されており、それを頼りに、他地域の会員さんと交流していた。
SNS全盛の時代からは信じられない話だが、不便なりに楽しい時代でもあった。
奇妙な出会い方
とは言え、個人情報の概念が違っていた時代でも、大半の会員の顔まではさすがにわからなかったのだが、ブルースブロディ氏だけは、顔を先に知っていた事になる。
繰り返すけど、それが日本武道館のスクリーン越しというのも、なんとも奇妙な出会い方ではあった。
ちなみにやりとりしたお手紙は今でも実家に保存しており、当然ブルースブロディ氏のものもたくさんある。
一発でわかる個性
彼のイラストと筆致はかなり独特で、一発で「ブルースブロディだ!」とわかる個性を放っていた。
ブルースブロディ氏は元々がラジオのハガキ職人だけあって、かなり筆まめな人間だった。
そして、やはりネタが面白い。切れ味も目の付け所も、コサキンのハガキ職人時代より、プレッシャー時代の方がパワーアップしていたくらいである。
ソウルメイト
プレッシャーに関して言えば、私が五期入会で、ブルースブロディ氏はそれ以前の入会になるので、プロレス的にいうなら、彼は歳下だけど「先輩」という形になる。
しかし、ほかの会員もそうなんだが、プロレスファン歴の長い、短いは関係なく、皆が同志のような不思議な感覚があった。
特にブルースブロディ氏とは、ラジオとプロレスとお笑いという部分で、共通項があり、より「ソウルメイト」という感じが強かった。そんな感じがしているのである。