[プロレス] 私的プロレススーパースター烈伝(96)長州力
重量級のアマレスラー
今回は現役時代は革命戦士の異名を誇り、引退後はユニークなキャラクターで活躍中の長州力選手をご紹介します。
長州さんは、専修大学レスリング部では重量級の選手として1年生から試合で活躍し、大学3年の1972年、ミュンヘンオリンピック代表に選出。フリースタイル90kg級に出場。
1973年の全日本選手権ではフリースタイルとグレコローマンの100kg級で優勝しました。
アマレスエリートからの
卒業後の進路選択の際、新日本プロレスの新間寿営業本部長にスカウトされ、1974年に新日本プロレスへ入団します。
1年前に全日本プロレス入りした鶴田友美(ジャンボ鶴田)選手
と同じく「アマレスエリートのプロレス転向」という道を辿ることになりました。
本名から長州力へ
1974年8月8日、日大講堂でのエル・グレコ戦でデビューを果たし、サソリ固めで勝利を飾ります。
デビュー時のリングネームは吉田光雄でしたが、海外武者修行から帰国後の1977年4月より、一般公募によって長州力と改名します。
当初、長州さんはこの名前を気に入っていなかったといわれています。
長い低迷期を経て
ここから長州選手は長い低迷期に入っていきます。
坂口征二選手と北米タッグを獲るなど活躍はしますが、新日本での序列は常に下の方でした。
1982年7月23日、メキシコ遠征においてUWA世界ヘビー級王座を獲得。2ヶ月間に渡って戴冠しています。
長髪にイメチェン
凱旋帰国後、それまでの短髪パーマからストレートの長髪にイメージチェンジします。
一説では、自分で後ろ髪が切れないから、という理由で長髪をトレードマークにしたそうです。
謀反を起こす
そして、10月8日に後楽園ホールで、藤波選手と仲間割れして新日本正規軍に謀反を起こし、一躍ブレイクを果たします。
造反後、師と仰ぐマサ斎藤さんらと共に、1983年より「革命軍」を結成。当時の体制に反旗を翻します。
ハイスパートレスリング
試合においては、リキ・ラリアットを使うようになり、攻撃主体の「ハイスパート・レスリング」を確立しました。
藤波さんとは、WWFインターナショナル・ヘビー級王座を巡って「名勝負数え唄」と謳われる連戦を繰り広げました。
ジャパンプロレス旗揚げ
1984年9月21日をもって維新軍は新日本プロレスを退団し、ジャパンプロレスを旗揚げし、戦場を全日本プロレスへと移します。
しかし、1987年2月から全日本のシリーズを欠場し、その流れで新日本に復帰してしてしまいます。
新日復帰後
復帰後は選手だけでなく、現場監督、マッチメーカーとして辣腕をふるいます。
1998年1月4日の東京ドーム大会で一度目の引退をしますが、大仁田厚選手からの再三による挑発に乗る形で2000年7月にマットに上がりましたが、ほどなくして定期参戦するようになり、現役復帰しました。
WJプロレス設立
2002年2月武藤敬司さん一派が、新日を退団した責任を取らされ現場監督の任を剥奪されます。
長州さんは5月に新日本プロレスを退社し、WJプロレスを旗揚げします。
WJ解散後
WJ解散後は、ハッスルやインディー団体へ参戦を続け、2004年新日本に一時復帰します。
2005年にはリキプロ所属のまま、新日本の現場監督にも復帰しています。
完全引退後
その後、レジェンド・ザ・プロレスリングなどを経て、2019年6月26日「POWER HALL2019」で完全に引退しました。
引退後は現役時代とはまるで異なるキャラクターで人気を博し、テレビだけでなくYouTubeなどでも活躍されています。
一線を引いていた
長州さんは、プロレスの責任者でいる時は、所属のプロレスラーが勝手なアクションを起こすことを良しとせず、プロレスと格闘技との間に一線を引いていました。
また、プロレスについて語ることを誰よりも嫌っています。
プロレスマスコミを毛嫌い
「おまえら、やったこともないくせにプロレスの何がわかる?」というスタンスで生きてきたため、プロレスマスコミという人種を毛嫌いもしています。
これは現役を退いた後も、それほど変わっていません。
怖さを纏う
1990年代には、「マスコミはテレビと東スポ以外、必要ねえ!」と繰り返し発言しています。現役時代は「プロレス大賞」MVPは一度も獲得していません。
また、試合前の時間にレスラーおよび関係者以外が控え室に入ることも極端に嫌っており、ファンサービスとは無縁の「怖さ」を常にまとっていました。
成功したやつは
選手に対しても、厳しい姿勢で臨み、対戦レスラーを故意に負傷させる行為に対しては厳重に罰しています。
一方で現場監督時代にも「成功した奴は必ず努力している」という持論から日々の練習を欠かさず、練習量が多い選手を積極的に試合に出すマッチメイクをしていました。
人柄についての証言
長州の付き人を長年務めた真壁刀義選手も「練習生に理不尽な暴力を振るわない・使いっ走りにしない」と長州さんの人柄については語っています。
また、前田日明さんは2019年のインタビューで「元々明るく朗らかなスポーツマンで、不機嫌で怖い雰囲気は演技。長年そうした演技をしていて不自然に見えることもあったが、男性更年期のホルモンバランスの変化によって性格が頑固になり、ギリギリ誤魔化せるようになった」と性格について話しています。