破格の超新星
今回は、DDTにレンタル移籍され、2月14日にKO-D無差別級王者になった、秋山準選手についてお話をしてみたいと思います。
秋山準選手は専修大学でアマチュアレスリングをやっておりました。そしてジャイアント馬場選手直々のスカウトによって全日本プロレスに入団をいたします。入団当初から秋山選手はジャンボ鶴田2世として期待されておりました。全日本での入団会見が行われたのも、ジャンボ鶴田選手以来ということで、当時の全日本プロレスが、いかに秋山選手へ多くの期待をしていたかということが分かると思います。
そして1992年9月後楽園ホール大会におけるセミファイナルでデビューをいたします。他の新人達が地方大会でひっそりデビューしていく中にあって、秋山選手は後楽園ホールのセミファイナルという異例のデビュー戦でありました。これも全日本プロレスがいかに秋山選手に期待をしていたかということが分かると思います。
しかし本人はなかなか手応えをつかむことができず、ようやくプロレスができるという手応えを感じるようになったのは、1995年になってからだったと言います。そしてデビュー戦の相手だった小橋健太選手とのチーム、「バーニング」で活躍するなど、団体の看板レスラーの一人として大きく成長していきます。
NOAHでの活躍
2000年7月全日本プロレスから離脱し、プロレスリングノアに合流をいたします。全日本プロレス時代はイメージカラーが青だったのですけれども、ノア移籍後は白になりまして、これが現在でも続いております。ノア時代はさらにイメージを一新いたしまして、三沢選手が小橋選手のパートナーという立ち位置から脱却をいたしまして、若手を率いてスターネスというユニットを結成いたします。
そして激しい戦いを繰り広げていきます。また全日本プロレス時代とは異なり、ノア時代の秋山選手は、他団体との交流にも積極的に乗り出していきます。今でもなお交流がある新日本プロレスの永田裕志選手との友情は団体の垣根を超えた信頼関係を築いたということで有名になりました。
全日本に出戻り・・・
また、2002年1月の新日本プロレス東京ドーム大会においては、メインイベントでGHCヘビー級選手権を行いました。この時は対戦相手が永田裕志選手でしたが、盟友に見事勝利をいたしております。2003年には新日本プロレスの G 1クライマックスにも出場しております。
この時は決勝戦に進出しているんですけれども、惜しくも天山選手に敗れております。2009年には佐々木健介選手が保持していたGHCヘビー級のベルトに挑戦をいたしまして、2009年には GHCヘビー級ベルトを保持した まま、10月の全日本プロレス大会にもあがりました。そこで諏訪魔選手と三冠ヘビー級をかけて対戦をいたします。全日本プロレス時代には獲得できなかった三冠ヘビー級をこの試合で獲得をいたしましてGHCヘビー級と三冠ヘビー級ベルトの4冠王になります。
しかし持病であったヘルニアの悪化に伴い、2012年をもってプロレスリングノアから、契約満了退団という形で離れることになります。2013年には全日本プロレスに復帰を致します。そしてかつて小橋選手とやっていたバーニングという名称を復活させて、ノアから同じく離脱したメンバーと共に全日本プロレスに入団をいたします。
そこから代表取締代表取締役社長や GM などを経て全日本プロレスの底上げに貢献をしていきます。今全日本プロレスがヘビースーパーヘビー級同士のバチバチした戦いを売りにできているのは秋山選手の改革によるものが大きいと私は思っております。
DDTへ・・・
そして2020年3月に WWF の WWE のパフォーマンスセンターのゲスト講師として招聘されたことが明らかになりました。しかしコロナウイルスの影響によって、この話は頓挫をしました。その代わりにと言ってはなんですけれども、DDT の高木大社長が自ら乗り出してきまして 、秋山選手はDDT のゲスト講師として契約を結ぶことになりました 。2020年6月になりまして全日本プロレスから DDT プロレスリングへ、レンタル移籍が発表されまして、現在は DDTでは、チーム「準烈」を結成して大暴れをしております。
DDTでは、文字通り水を得た魚のごとき活躍を見せています。2020年11月22日に開幕したシングルリーグ戦「D王GP」は4勝2敗で優勝決定戦に進出し、12月27日の後楽園大会ではエースの竹下幸之介選手を下して初参戦優勝を果たし、王者に挑戦を表明し、見事王座を奪取したのでした。
ここまでが簡単に、秋山準選手の半生を振り返ってみたところなんですけれども、今回お話ししてみたいところは、KO-D奪取後、DDT入団を決意した秋山準選手が、今後どうやって行くのかというところに絞ってお話をしてみたいと思います。
すでに秋山門下の新人もデビューしています。もともと DDT プロレスリングというのは元々文化系プロレスリングという名前を売りにしておりました。どちらかと言うとエンタメ色が強い団体で、言い方をすれば学生プロレスの延長線上にあったりするプロレスでありました。ですので一部の他団体選手から「戦いがない」という批判を浴びてきていた、というのが現状であると思います。
しかしながらお客さんを楽しませて、満足させて返すという意味では、DDTの選手たちは、立派なプロフェッショナルだと思っています。秋山準選手は、今までDDTに足りないと言われていたものを、植え付けていく作業をしているのは明らかで、実際DDTを2021年1月に生観戦に行った時には、ずいぶん変わった印象を持ちました。秋山効果は、DDT が大きく化ける可能性があるというふうに私は考えております。実際、瀕死の状態であった全日本プロレスを、あそこまで立て直したのは秋山選手の手腕が大きく関わっているというふうに思っております。
存在感と可能性
それぐらい秋山選手というのは存在感がある選手であるのは間違いないでしょう。是非ともKO-Dを巻いて発言権を増した、秋山準選手にも、今以上に奮闘していただいて 、まずDDT プロレスをさらなる高みに押し上げて行ってもらいたいというふうに私は考えております。DDT プロレスリングはもともとスキルのあった団体です。秋山選手も「もっと自分たちのプロレスに自信をもっていい」とも言っています。これがさらに面白くなるんであれば、大歓迎であります。エンターテイメント路線を捨てないで、なおかつストロングな部分も大きく前進させていくことができるんであれば、これはもう鬼に金棒と言っていいんじゃないかなという風に思います。
もちろん武藤選手同様、秋山選手にも、まだまだ可能性が残されております。そして今のプロレスにないものを武藤選手も秋山選手ももっています。
秋山選手もそうですが、武藤選手も平気で30分近いの試合するんですよ。しかも無駄な動きがすくないから所作が美しいんです。そして、奥の手を最後までとっておけるしたたかさも持ち合わせています。武藤さんならフランケンシュタイナー、秋山さんなら、スターネスダストαですね。
50代定年制なんて・・・
今のプロレスを否定はしませんが、今のプロレスに失われたものが、この二つのタイトルマッチにはありましたね。同世代として私は、武藤選手にももちろんですが、秋山準選手にも大きな期待を寄せております。武藤選手じゃないですが、50歳定年なんてくそくらえ!という気持ちはもっています。
どうか今後もぜひとも頑張って頂いてプロレス界全体のために、いつかはプロレス界全体の専属コーチとしてまた大きな壁として、プロレス界に貢献をして欲しいなというふうに思っております。