プロレススーパースター本列伝 理不尽大王の高笑い FIGHTING FOR MYSELF
国際プロレス入門
「理不尽大王の高笑い」は、1998年2月に刊行された故・冬木弘道さんの自伝である。本人が生前に語ったプロレス感や歴史が語られており、非常に貴重な内容になっている。
冬木さんは、生まれ育った東京で国際プロレスの中継を見て、チケットプレゼントに応募して観戦を繰り返し、やがて入門。
海外遠征へ
怪我をするも乗り越えて、国際プロレスは倒産するものの全日本プロレスに入門し海外修行にでる。
もともとアメリカでプロレスをやるつもりだった冬木さんは、メキシコ、プエルトリコ、アメリカで修行し、そのまま居残るはずが、紆余曲折を経て全日本に帰国する。
天龍さんとともに
この修行時代に、どっぷりと各地で本場のプロレスに浸かったことで培われたものが晩年まで活かされることとなったのである。
天龍源一郎さんに追従し全日本プロレスを離脱し、SWS、WARとともに進むことになる。
反旗を翻す
新日本プロレスとの対抗戦でも活躍し、やがて天龍さんに反旗を翻す事になる。
「理不尽大王の高笑い」では、後年すれ違うことになる天龍さんとの関わり方にも、触れられている。
理不尽大王へ
やがて、手下を自在に操って自らも高度なテクニックと憎たらしいキャラクターを有する理不尽大王・冬木弘道(こうどう)へと変貌を遂げる。
天龍さんの団体を飛び出し、インディーマット界を荒らしまくった冬木さんは独自のプロモーションを設立。主戦場をFMWに定めていく。
生き急いだような
私個人は冬木弘道さんはそれこそ若手の頃から見てきたレスラーで、最初に全日本プロレスを観戦した時にメインにでていた選手のひとりである(天龍&原&冬木対鶴田&カブキ&薗田)。
それだけに後年の生き急いだような冬木さんを不思議な気持ちでみていたものだった。
自分もガンに
今から考えればすでにレスラー人生、そして冬木さんの生涯は晩年に差し掛かっていたのだと言えるだろう。
2021年。冬木さんとは患部が違うものの、まさか自分が同様にガンになるとは思っていなかった。
インディ統一の原点
それだけにインディ統一を急いだ冬木さんの気持ちは、私にも今だったらわかるような気もしている。
おそらく、インディ統一構想の原点は国際プロレスの崩壊に原点があるのだ。
野心に報いるべく
出自が全日本プロレスにある天龍さんとはそこが大きく違う。
あまたあるインディのレスラーの野心に報いるべく、冬木さんは理想を実現化しようとしていたのだろう。
統一とは真逆に
残念ながら、冬木さんなきあとのプロレス界は更に混沌を極め、統一とは真逆の方向に向かっている。
これは「理不尽大王の高笑い」の中で冬木さんも「一つにまとまっちゃうか、限りなくバラけちゃうか、どちらか」と予言されている。
理不尽だけど
プラスそこにコロナ禍である。アイディアマンの冬木さんなら、今どう思うだろうか?
「理不尽大王の高笑い」で印象深かったのは、「理不尽だけど無責任はしたくない」と「業界の底上げをすることは、自分の生活を安定させることにつながる」という二つのフレーズ。
圧倒的に足りないのは
自分だけ良ければそれでいいと考えているレスラーが多い中、俯瞰で業界を見られる選手は、残念ながら冬木さん以降現れていない。
やはり、現代のプロレス界において、圧倒的に足りてないのは、「冬木弘道」なのだ、とおもわざるを得ない。