1990年代の私的東京遠征噺①1・4詣をしていた頃
94年の東京ドーム
私が1.4の東京ドーム詣でをしていた時期は92年から97年ごろまでの数年間で割と短かったんですが、いろいろ印象的なことがたくさんあったので、思いつくままに書き留めておこうと思います。
今でもはっきり覚えているのは、東京の観戦友達たちにはじめてあった94年のドームが印象深いですね。
集合場所を確認
前年は集合場所がわからなくて断念した経緯があって、事前に後楽園ホール前の集合場所を確認して観戦にいったことを覚えています。
当時、FMWの後楽園での1月シリーズポスターに、新崎人生の姿があって「お遍路さんをこんな形でキャラに使って罰が当たらないのかな?」とか思ったことも覚えています。
遠すぎて覚えていない
罰が当たるどころか、いまだに人生は人生のまま、お遍路という自身のアイデンティティを大切にしていますので、全く余計なお世話だったんですが、当時はまだ新崎人生を生で見てなかったですからね。私も若かったし(笑)
不思議と福岡ドームの試合はわりとはっきり覚えているのですが、東京ドームの試合はあまりに遠すぎたせいかあまり覚えていないんですね。
アメリカンテイストな
最初のドームでみたダスティローデス、ダスティ・ローデスジュニア(のちのゴールダスト)対マサ斉藤、キム・ドクの試合が印象に残っています。
ストロングスタイル推しの試合が並ぶ中で、ひとつだけアメリカンなテイストで、しかも日本なのに、マサさんも戸口さんもジャパニーズヒールとしてベビーのローデス親子と闘うという図式で、数あるドームの試合の中でも結構印象深い一戦になってます。
予想外のお客様
試合後、事前に確認した集合場所で無事友人たちと対面できたのですが、ここへ予想外のお客様がいらしたのです。
友人の知人であったヤマモさんこと山本JWP代表(当時)とキャンディー奥津選手があいさつにきてくれたのでした。
これはびっくりしましたね。
思ったよりいいことは
当時は私も選手とこんなに近しい距離にいられることなど全くなかったですから、そりゃ驚いたものです。
もっとも時を経て自分が選手と近しい距離になってしまうと、思っていたよりいいことなんかそんなになかったということの方が多かったんです。
名もないファンでいられること
逆に名もない一ファンでいられることのありがたみを思い知ったこともたくさんあったので、今ではむしろ選手に名前を覚えられたくなくて、あえて一般人を装っています。
とはいえ、40年以上も生観戦していると、どっかでプロレスとの距離は近くなるものですし、無理やり距離感を保とうとしなくてもいいかなと思います。要はその時々で自分がどうしたいか?これに尽きるんですよね。