1990年代の大阪遠征⑦ 観劇とプロレスの想い出・後編
打ち上げへ
急遽向かった大阪で私は無事観劇することができました。
受付で名前を告げてミツルギ氏に面会をお願いしたら、奥に通され無事再会を果たしました。
演劇界の蒼々たるメンバー
そして、この後の打ち上げに誘われたのです。打ち上げの席では演劇界ではそうそうたるメンバーがそろっていたようで、熱のこもった演劇論が繰り広げられていました。
残念ながら演劇に関しては門外漢の私は、同じ日本語でありながらその内容を理解できなかったのですが、こればかりは「わかったふり」したところでどうしようもありません。
好きなことを語り合うのは
ただ、好きなことを語り合うというのは気持ちのいいもので、それはプロレスを通じて身にしみておりましたから、皆さんの高揚感を端で楽しみながらお酒(30代までは飲んでいました)を嗜んでいました。
そうこうしているうちに話がなぜか格闘技の方にきて、思わず話を振られました。ちょうど時期的にはグレイシーが日本で知られ始めたころだったと思います。
転職を経て
後にプロレス界に対する黒船になるグレイシー柔術ですが、実を言うとこの当時からプロレス以外の格闘技には大して興味はなく、それでも流れで読んでいた「格闘技通信」で仕入れたにわか知識で、どうにかその場を乗り切ったのを覚えています。
残念ながら、ここから私は前々職を辞めさえられ、一年のブランクを経て転職しますが、以前ほど金銭的にも時間的にも余裕がなくなり、大阪へ行く機会はなくなってしまいました。
オンライン配信で
しかし時を経て、コロナ渦がもたらしたオンライン配信の波は演劇界にも訪れ、なんと約何十年ぶりかで、魔人ハンターミツルギ氏が作った演劇「ヤドカリン」を昨年購入して見ることができました。
もちろんプロレスもそうですが、生観戦・生観劇できることが一番であるのはいうまでもありません。しかしこうしたご時世、遠征するのもなかなかリスキーです。
新しい武器
何より田舎の人間にとっては交通費と宿泊費がかからないオンラインは、新しい武器になりました。
とはいえ、久々に大阪に行きたい気持ちがあるのも偽らざる気持ちです。いずれコロナが収束した暁にはぜひともまた大阪の地でプロレスを、演劇を見てみたいと想っています。
人生は一度きり!
人生は一度きりですからね。病気にも勝って健康を取り戻して、想い出の地に戻ること。それが今の目標のひとつになっています。
あの日応援していた近鉄バファローズも、お世話になったミスターヒトさんもこの世にはいませんが、それでも大阪は私にとって大切な場所の一つなんです。