プロレス的音楽徒然草 Zero to Sixty Five(フリーライドサーファー)
ついた二つ名は「闘将」
今回は国際プロレス時代から、新日本参戦時にアニマル浜口選手が使用していた、Zero to Sixty Five(フリーライドサーファー)のご紹介です。
浜口さんの現役時代を知らないあなたには、アニマル浜口=「浜口京子パパ」というイメージが強いかもしれません。
今の娘よりも目立つキャラクターからは想像もつきませんが、アニマル浜口という選手は、自分よりパートナーを立てて自らは一歩引くタイプのファイターでした。
献身的にサポート
浜口さんの立ち位置は、名参謀。野球で言えばピッチャーに対するキャッチャーのような感じでした。国際軍団時代にはラッシャー木村さんを、維新軍団からジャパンプロレス時代は長州力選手を、そしてWARで復帰した時は天龍選手を献身的にサポートして、活躍しました。
それでいて常に闘志全開の小気味よいファイトを信条としてましたから、ついた二つ名は「闘将」。まさにその名にふさわしい活躍ぶりは、ファンだけでなく同業のプロレスラーにも影響を与えました。
「負けたーッ!」
ジャパンプロレスと全日本プロレスが抗争していた時に6対6のシングル全面対抗戦を行いました。
浜口さんはこの時「怪物」ジャンボ鶴田選手と一騎打ちしますが、善戦虚しく敗れ去ります。負けた浜口さんはリング上で「負けたーッ!」と絶叫しました。
この時、会場から賞賛の拍手が送られ、ジャイアント馬場さんが、浜口さんの健闘を解説席で称えました。そのくらい浜口さんの突貫ファイトは多くの人の心に「刺さった」のです。
後に天龍革命で天龍源一郎選手のパートナーとして活躍した阿修羅原選手は、国際時代の先輩であるアニマル浜口選手の闘将ぶりに感銘を受けたことで知られています。全日本~SWS~WARと天龍選手を立てて献身的に闘う阿修羅原選手にもまた多くの声援が集まりました。
加速の爽快感
さて、Zero to Sixty Five(フリーライドサーファー)という曲は、1973年に結成されたバンド・パブロ・クルーズ(Pablo Cluise)の「絆」というアルバムに収録されています。
パブロ・クルーズというのは、日本でいうところのチューブみたいに、アメリカでは「夏の定番」といえるバンドだったようです。基本的にはロックバンドではあるのですが、音楽性のせいか?サーフロックというとらえ方をされていたそうです。
私なりに色々調べてみましたが、Zero to Sixty Fiveの原曲には約1分半強の静かなイントロがついており、いきなり曲調が転換してスピード感溢れる流れになっていきます。この「Zero to Sixty Five」は、”from 0 mile/hour to 60 miles/hour in five seconds” を省略した表現ではないか、と思われます。
「フリーライドサーファー」になった理由
もう少し噛み砕くと、自動車が停止した状態から加速して、時速約100km(60 miles/hour)に達するまでに 5秒かかる状態を意味するのですが、これを「比喩」して、加速の爽快感だったり、スリリングである様を指しているのではないか、というのがたどり着いた末の私の結論です。しかし、日本語でこの感覚を短く的確に表現できる言葉は見当たらないのではないでしょうか。
ちなみに、Zero to Sixty Fiveは、1977年公開の映画「フリーライドサーフィン」に使用されています。多分邦題が「フリーライドサーファー」になっているのはそのせいでしょう。ただ、原題にサーフィンの「サ」の字もないため、バイオレントサタデーのテーマのように、映画との関連性を調べたら、「フリーライドサーファー」に出くわしたわけです。
私は全くサーフィンをやらないので、知らなかったのですが、この「フリーライドサーファー」という映画は、当時のサーファーに絶大な支持を受けていたそうで、Zero to Sixty Fiveときたら、まずサーフィンを思い浮かべる方もたくさんいらっしゃるそうです。
ルーツにある国際プロレス
そして、パブロ・クルーズというバンド自体もサーファーに絶大な人気を誇ったバンドだったそうです。
正直、Zero to Sixty Fiveという曲の、サーフィンの波が来る前の凪から一気に波に乗っていく高揚感みたいなものを表現するには、あの静かなイントロがセットでないとダメなんでしょうね。
ところがプロレス入場テーマにありがちな話ですが、浜口選手が使用し、現在は同じ国際プロレス出身の高杉正彦選手のご長男、高杉祐希選手のテーマとしても使用されている「フリーライドサーファー」は、このイントロ部分がバッサリ切られています。
原題が翻訳しにくい
私は長年「イントロがないバージョン=フリーライドサーファー」だと思い込んでいましたが、今回記事を書くにあたり、色々調べた結果、こういう邦題になった原因は、「原題が日本語に翻訳しにくいから」ということがわかりました(笑)
アニマル浜口さんは一度プロレスを引退した後、ボディビルにも進出。その際にもこのフリーライドサーファーを使用しています。ご本人もお気に入りだったのですね。
冒頭で書いた通り、現役時代のアニマル浜口さんはまさに「名脇役」と呼べる選手でした。
様々な記憶が紐付かれる
それ故に一時代を彩ったテーマ曲に比べると、Zero to Sixty Fiveは、イメージ的に受け継ぎやすい作品かな、と私は思っています。
高杉祐希選手がお父さんのテーマではなく、浜口さんのテーマ曲を選んだというのも、自身のルーツにある国際プロレスを意識しているのかもしれません。
それにしても、一つの音楽からプロレスやサーフィン、映画と人によって様々な記憶が紐付かれるというのは、大変興味深い事だな、と私は思います。こういうのがあるから、プロレス入場テーマ曲って知れば知るほど楽しいんですよね。