プロレス的音楽徒然草 HOLD OUT
鮮やかな戴冠劇
今回は武藤敬司選手の代名詞的テーマ曲である「HOLD OUT」のご紹介です。HOLD OUTは、武藤選手が2度目の凱旋帰国を果たした時から使われ始めました。
「新闘強STATION BAY NK」と銘打たれた、1990年4月27日 東京ベイNKホール 大会で、IWGPタッグ選手権試合・チャンピオン・マサ斎藤&橋本真也組に挑んだのが、赤いタイツを履いて、2度目の凱旋帰国を果たした武藤敬司選手と、まだ黒のカリスマになる前の蝶野正洋選手のチームでした。
あまりに鮮やかな戴冠劇と相まって、HOLD OUTがプロレスファンの記憶に刻まれた、歴史的大会でした。
HOLD OUTの初出は、私の記憶が確かならば、ザ・プロレスリング90sというアルバムだったと記憶しています。
ただ、同時期に作られた藤波辰爾さんの「RISING」や、橋本真也選手の「爆勝宣言」が入ったアルバム「NEW JAPAN RISING」には、HOLD OUTが収録されておらず、結局カバー曲だらけの「ザ・プロレスリング90s」を別に買い足した思い出があります。
代名詞的テーマ曲
オリジナル入場テーマ曲としては、HOLD OUTが初になりますが、武藤選手はHOLD OUT前に、2曲テーマ曲があり、HOLD OUTは三曲目になります。
以降、テーマ曲は変われど、節目節目で使われてきたこともあり、HOLD OUTは武藤選手の代名詞的存在になりました。
では、そんなHOLD OUTをなぜ武藤選手は変えてしまったのでしょうか?その原因を作ったのは、同期であり、ライバルでもある、橋本真也選手でした。
橋本選手は、基本的に無邪気で無類のイタズラ好きでした。今なら確実にハラスメントに引っかかっていたと思われます。
テーマ曲を変えた理由
そんな破壊王がある日、HOLD OUTのメロディにのせて、当時まだ髪があった頃の武藤選手を揶揄する替え歌をつくってしまい、それを聞いた武藤選手は、テーマ曲を変えてしまったのだそうです。嘘みたいな本当の話です。
この話は武藤選手自身が2009年10月12日放送の「今日は一日『プロレス・格闘技テーマ曲』三昧」にて、にコメントを寄せられた際、ご本人の口から語られています。
橋本真也選手のせいかどうかは、定かではありませんが、以降武藤選手は、たびたびテーマ曲を変更しています。同じ闘魂三銃士でも、蝶野さんや橋本さんとは対照的です。
時代時代のHOLD OUT
しかし、最近は原点回帰なのか、HOLD OUTを使う機会が多くなってきました。特にNOAH参戦後は、CD版のHOLD OUTで入場されていました。
そして、2月のGHC戴冠後、3月14日の福岡大会から、武藤選手はHOLD OUTのニューアレンジバージョンで入場しています。このバージョンは、2021年秋に発売された「NEOGENESIS PRO-WRESTLING NOAH ENTRANCE MUSIC」に「HOLD OUT 2021」というタイトルで収録されています。
このように、アレンジを変えながら、時代時代のHOLD OUTが存在するのも、面白いなあと思います。
強いて言えば、nWo全盛期に、武藤選手がHOLD OUTを使用していたならば、nWo 版HOLD OUTができていたかもしれません。
たられば、の話にはなりますが、あの時代の空気でアレンジされていた 、HOLD OUTを聴いてみたかったなあ、と私は思ったりもしてます。